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 重要な主題に関する Paul C. Jong 師による説教

 

誰の内を 聖霊の生ける水は 流れるのか

 

<ヨハネ 7:37-38>

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

 

 

聖霊の生ける水を飲めるのは
誰ですか?

イエスのバプテスマと
十字架上の血のすばらしい
福音を信じる者

 


聖霊の生ける水は、すばらしい福音を信じる者の心から流れ出ます。ヨハネの福音書第 7 章 38 節には、「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」とあります。これは、神がくださったすばらしい福音を信じる者には真の救済と罪の赦しがあるということです。

御霊は、いつ内に宿られるのでしょう。御霊は、イエス・キリストがヨハネから授けられたバプテスマによって世の罪を取り除かれたと告げている真の福音を聞き、信じたときに受けることができます。そうすると、聖霊の生ける水を飲むことができます。すばらしい福音を信じる者の内には御霊が宿っておられます。その人は、神のみことばを説いたり聞いたりするたびに、霊的な生ける水が渇いた心を潤し、満たすのを感じるのです。

聖霊の生ける水は、主が罪人を罪からお救いになるためにこの世に来られたとしている水と御霊の福音を信じる者の心から流れ出ます。聖霊は水と御霊の福音とは不可分の真理であり、神のみことばを信じる者の内に住まわれます。

聖霊の生ける水を飲みたい者はみな、イエスのバプテスマと十字架上の血とのすばらしい福音を信じて罪の赦しを受けなければなりません。聖霊の生ける水は、みことばを信じる者の心にあります。水と御霊の福音を信じる者には、心の中を川のように流れる聖霊の生ける水があります。今この瞬間にも、イエス・キリストのバプテスマと十字架上の血のすばらしい福音を信じて罪の赦しを受けた者の心から、聖霊の生ける水が泉のように湧き出ています。

しかしながら、この真理のすばらしい福音を信じない者の心には、聖霊の生ける水はただの一滴もありません。私が水と御霊の福音を信じ、認めるまで、霊的生ける水は一滴も心から流れ出ていませんでした。当時、イエス・キリストを熱烈に信じてはいましたが、御霊を心にもたなかったので、聖霊の生ける水の重要性を知りもしませんでした。しかしながら、今は水と御霊のすばらしい福音を得、聖霊の生ける水が豊かに心から流れ出ています。

聖霊の生ける水は、私の心から、それに、神のみことばを聞き信じる人々の心から、流れ出ています。イエスが「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」とおっしゃったように、水と御霊のすばらしい福音を信じる新たに生まれたキリスト教徒を通して、聖霊の生ける水は他の人々を回復させます。今この瞬間にも、水と御霊の福音への信仰とともに、生ける水が私の心から流れ出て、他の人々が飲めるようにしています。神は、私の心から聖霊の生ける水が川のように流れるようになさいます。これは、御霊を内に宿している者だけが知っていることなのです。

黙示録に、受けた者以外には誰も知らないと記されているように、御霊を内に宿すことと生ける水のことは、水と御霊のすばらしい福音を知り、信じる者だけが知っている奥義です。ですから、聖徒には誰の内に御霊が宿っておられるのかがわかるはずです。よろしいですか、御霊が内に宿ることは、イエスの福音を信じる者にだけ与えられているのです。



かつては十字架の血だけを信じていた

私はイエスの十字架上の血を十年以上信じていましたが、心の中にまだ罪がありました。当時、罪はイエスの血によってのみ赦されるのだと信じていました。しかしながら、そうした信仰によっては、完全な罪の赦しも御霊も受けることができず、私の生活には迷いと空しさばかりがありました。イエスを信じていることの唯一の印は、教会に通っているということだけでした。

そんなころに自分の信仰を見直すようになったのです。「私はほんとうに御霊を受けたのだろうか。」最初にイエスを信じるようになったころは、イエスへの愛に燃え、異言の力さえありました。しかし、それがどうなったのでしょう。あの燃えるような感情は御霊が宿っているしるしではなく、自分は御霊を受けてなどいなかったのだということに気づいたのです。イエスを信じていましたが、御霊と聖霊の生ける水は私の心にはありませんでした。

心が熱かろうと冷たかろうと、信仰が[4]カルヴァン主義に基づいていたのですから、それは問題ではありませんでした。私がほんとうに問うべきだったのは、次のことです。

4. ジョン・カルヴァンのはじめたキリスト教解釈理論 予定説と救済とを強調する。カルヴァン主義の五特質は、アルミニウス派の立場への応答として定められた。
カルヴァン主義の教え: 1) 全堕落── 人間はその全存在、体・魂・心・感情が罪に触れている。2) 分に過ぎた好意──神の人間に対する好意は、完全に神の自由意志による選択によるものであり、人間とは全く関わりがない。神の好意は人間には分に過ぎたものである。3) 制限的贖罪──キリストは、かつて生きたすべての人間の罪を負われはなさらず、救済に選ばれた者の罪だけを負われた。4) 不可抗的恩恵──救済への神のお召しには抵抗できない。5) 聖徒の堅忍──救済を失うことは不可能。しかし、この教えと水と御霊の福音の間には、とりわけ制限的贖罪に関して、明確な違いがある。

(1) 御霊は内に宿っておられるだろうか。─ いいえ。御霊が内にあるという確信はありません。─

(2) 私には罪があるだろうか。─ はい、あります。─ イエスの十字架上の血を信じてはいましたが、私の内には確かに罪がありました。イエスを信じ、毎日悔い改めの祈りをささげていても、まだ心に罪がありました。心の中の罪は、どんなに努力してもけっして完全にきよめられませんでした。

「どうしたら御霊を受けることができるのだろう。」「どうしたら、心の罪を洗い流すことができるのだろう。」イエスを信じるようになっても、この二つの問いに頭を悩ませ続けました。イエスを信じるようになってから、私は異言を話ました。また、罪はイエスの血への信仰によってきよめられるのだと信じていました。

しかしながら、時が過ぎるにつれ、心にはますます罪がたまっていきました。私は罪に満ちていました。悔い改めの祈りや断食では、イエスの血だけに頼っている限り、心の中の罪を洗い流すことができませんでした。私は長い間、行ないによる罪のことを思い煩っていました。悩めば悩むほど、いっそう激烈にイエスのみことばを他の人々に説きました。また、それまで以上に頻繁に教会に行き、イエスの血に頼ってイエスに仕えることに没頭しました。

しかしながら、時が過ぎるにつれ、心の中の行ないによる罪が真の信仰をもつことを妨げるようになりました。イエスを信じることがそれまで以上に困難になりました。イエスの血にすがろうとして懸命に努力し、それまで以上に神に奉仕しました。しかしながら、ますます空しさがつのるのです。こうした信仰は、空しい思いにさせ、無気力にします。私は体面だけを気にする偽善的なキリスト教徒になりました。「イエスを信じるということは、誰でもこういうふうなのだ。私だけではない」と考え、自分の信仰が誤っていることを否定しようとしました。しかしながら、それでもイエスの血と悔い改めの祈りでは、行ないによる罪をすべて洗い流すことはできませんでした。

では、どのような信仰があれば、行ないによる罪をきよめることができるのでしょう。行ないによる罪は、イエスがヨルダン川でバプテスマをお受けになった時に罪がみなその上に移されたと信じることによって、洗い流すことができました。これが、マタイの福音書第 3 章 13-17 節に記されていることです。では、なぜ行ないによる罪はイエスの血で洗い流されなかったのでしょう。私は、ヨハネがイエスに授けたバプテスマの意味を告げているすばらしい福音を知らず、信じていませんでした。

これは、世の罪がすべてイエスのバプテスマによって洗い流されたということでしょうか。はい、そうです。聖書は、これについて、「人は、水と御霊によって生まれなければ、天の国に入ることができない」(ヨハネ 3:3-5)とあかししています。イエスは、この世に来られ、ヨハネからお受けになったバプテスマによって世の罪をすべて負われました。

私はまだこれに確信がもてず、はっきりさせるために旧約と新約を比較しました。結果は、確かにそれが真実だったのです。世の罪はみな、イエスがバプテスマをお受けになったときにその上に移され、私の罪もまた、その時に移されたのです。私は、このみことばへの信仰によって聖化されました。これは聖書に記されているままの真理のみことばであり、これがこの世で一番すばらしい福音なのだと気づきました。

また、イエスの血のみへの信仰では罪が消されなかった理由もわかりました。私はヨルダン川でのバプテスマの真実を知らなかったために、行ないによる罪をイエスの上に移すことができなかったのです。私はついに真理を見出しました。イエスは私のためにこの世に来られ、バプテスマによって世の罪をすべて取り除かれ、後に人類を世の罪のすべてからお救いになるために十字架につけられたことがわかりました。また、イエスのバプテスマと十字架上の血の目的は、世の罪をすべて取り除くことであったことをもわかりました。今、イエスがくださったすばらしい福音のおかげで、また、罪がすべて赦されたために、私は義人です。

教会の教えが罪を消し去ったのではありません。イエスのバプテスマと十字架上の血とが消したのです。この真理はすばらしい福音の内にあります。私は、イエスの血だけへの信仰によってではなく、イエスのバプテスマと十字架上の血とが救済であるという信仰によって、すべての罪から救われて義人になりました。

もう一つ神に感謝するべきことは、すばらしい福音を信じるようになってから御霊が来られたことです。今、ヨハネによるイエスのバプテスマと十字架上の血のことばとともに、御霊が内に宿っておられます。

すばらしい福音をくださり、イエスの使徒たちと同じ信仰を説くようにしてくださったことを主に感謝します。私のしたことは、すばらしい福音を信じたことだけだというのに、神は御霊をくださいました。今は、この知らせを誇りと確信をもって世のすべての人々に伝えることができます。まことに、イエスの血だけを信じても罪をすべて消すことはできないのです。

しかし、ヨハネによるイエスのバプテスマと十字架上の血とを告げているすばらしい福音を信じたならば、罪はみな確かに洗い流されるのです。このすばらしい福音を説いていて、神の前にいささかも恥じるところがありません。今は誇りをもって、この水と御霊によって新たに生まれるすばらしい福音を世のすべての人に宣べ広めることができます。主に感謝いたします。水と御霊の福音をくださり、聖霊の生ける水を飲めるようにしてくださった主に感謝します。



真の福音とは、水と御霊の福音である ことは実証されている

みなさんは、ほんとうに罪の赦しと御霊を受けていますか? 福音が本物であると、どうしたらわかるでしょう? 以前、イエスのくださったすばらしい福音を信じようとしている人々で試してみたことがあります。一人にはイエス・キリストの十字架上の血の知らせだけを説きました。また、その人に、イエス・キリストには罪がないと言いました。別の人には、ヨハネによるイエスのバプテスマと十字架上の血のすばらしい福音を説きました。その結果、イエスの血だけを信じて罪の赦しを受けた人は、いつでも行ないによる罪の赦しを受けていなければならないと言いました。それに対して、イエスのバプテスマと血のすばらしい福音を信じた人は、完全に罪のない人間になったと言いました。

その人は、イエスが罪をすべて取り除いてくださり、身代わりとなって罰を受けてくださったと信じているので、自分の心には罪がないと言いました。その人は、ヨハネによるイエスのバプテスマが世の罪をすべて洗い流したと告げているすばらしい福音を信じたために、神から御霊を受けることができました。

この人が自分の心には罪がないと言うことができたのは、すばらしい福音への信仰によって心に御霊を受けたためです。御霊はその人に、自分には罪がないと言える確信をお与えになりました。神は、ヨハネによるイエスのバプテスマと十字架上の血とを信じる者すべてに御霊をお与えになります。誰の内に御霊は宿っておられるでしょう。御霊は、ヨハネによるイエスのバプテスマと十字架上の血とのすばらしい福音を信じる者に賜物として与えられます。

五旬節の表面的な現象だけを見たために、多くの人々が御霊を受けることについて誤解し、すばらしい福音を捨ててしまいました。人々は、必死に祈って聖霊を求めれば御霊を内に宿すことができると考えています。長い間、世界中のキリスト教徒は真実について少しも知りませんでした。人はイエスのバプテスマと血のすばらしい福音を信じてはじめて御霊を受けることができるのです。しかしながら、今は水と御霊の福音への信仰によって御霊を受けている神のしもべが大勢、御霊の助けを受けて福音を説いています。その結果、全世界の多くの人々がすばらしい福音について学び、受け入れ、御霊を受けています。

神は、すばらしい福音を信じる者が御霊を受けるようになさいます。聖書には、「終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ」(使徒 2:17)とあります。しかしながら、よろしいですか、すばらしい福音を知らずに御霊を受けようとするのは誤りなのです。ヨハネによるイエスのバプテスマと十字架上の血とを信じる以外には、御霊を受ける道はありません。

神は、人は水と御霊によって新たに生まれてはじめて天の御国に入れるとおっしゃっておられます。新たに生まれた者だけが御霊の賜物を得ているのですから、天の御国に入るには誰もが御霊を内に宿していなければならないということに疑問の余地はありません。水と御霊のすばらしい福音を信じることなしに、どうして御霊を受けて天国に入れるでしょう。すばらしい福音を信じる以外に天国への道はありません。人は、イエスのバプテスマと血の福音を信じてはじめて御霊を受けることができます。物を買うときにはお金を払うように、御霊を受けるにはすばらしい福音を信じるのです。

よろしいですか、ほんとうに御霊を受けたいのなら、まず水と御霊の福音を知り、信じなさい。そうすれば、御霊を受けることができるのです。水と御霊のすばらしい福音を信じることによってのみ、人は御霊を受けることができます。神は、人間に御霊をお与えになろうと思っておいでです。

私はすばらしい福音を信じています。そして時がたつにつれ、神のくださったこのすばらしい福音が、この世で最もすばらしく尊いものであることをより強く感じるのです。神に感謝いたします。みなさんも同じように感じておいでですか? 御霊を受けた者は、神から大きな恵みを受けているのです。

私は、すばらしい福音を信じることによって御霊を受けることができるということをお伝えしています。人は、水と御霊によって新たに生まれるすばらしい福音を受け入れることによってのみ、御霊を受ける資格を得ることができます。

ヨハネの福音書第 7 章 38 節でイエスは、「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」とおっしゃっています。これは、イエス・キリストがくださったすばらしい福音を信じてすべての罪の赦しを受けた者の内に御霊が宿るということです。その人たちの心から、聖霊の生ける水が川のように流れます。すばらしい福音を信じる者は、聖霊の生ける水が流れるのを体験します。

水と御霊の福音によって新たに生まれる前、私はイエスの熱心な信者でしたが、心から聖霊の生ける水は流れ出ていませんでした。しかしながら、水と御霊のすばらしい福音を信じるようになってから、聖書に記されているように、生ける水が心から豊かに流れ出るようになりました。今この瞬間にも、聖霊の生ける水は、神がくださった水と御霊の福音とともに流れています。聖霊の生ける水は、一年中、私の心から豊かに流れ出ています。御霊を受けて以来、私は福音伝道者の仕事をするようになり、すばらしい福音を説いてきました。



すばらしい福音を信じ 内に御霊が宿るようになってからの 信仰告白

あれは、二十代初めの秋の終わりのことでした。その秋は、とりわけ死の不可避性について深く考えさせられました。その年の生活は、心の中の罪のために迷いや空しさがあり、闇に包まれたものでした。間違った方向に向かっていて、どちらへ行ったらいいのか、まるでわかりませんでした。体は不調になり、心の中の空しさがつのっていました。

罪のためにすっかり絶望し、その理由もわからないほどでした。私には、突然来る人生の終わりに神の裁きを待って罪の赦しを乞うしかありませんでした。「主よ、信仰によって、死ぬ前に罪の赦しを受けたいのです。それに、どうか体の病気を治してください。」 私は祈り続けました。

ちょうどそんな時、絶望した心の底から新たな希望がわき出しました。心は神を求める思いに満ち、火の玉のように熱くなりました。心の中で燃えさかっていたものは絶望ではなく、新たな希望でした。その日から、イエスが私を罪からお救いくださるために十字架上で死なれたと信じて、新たな宗教生活を始めました。

それからほどなく、異言で話すという体験しました。後には、イエスが十字架上で流された血のことを思って涙を流し続けました。イエスが私のために十字架上で血を流してくださったことをありがたく思いました。

そのことがあってから古い生き方を捨て、日曜日を聖なる日とすることのできる新しい仕事につきました。当時、心はイエスへの愛に満ち、イエスが私を罪からお救いくださるために十字架上で血を流してくださったのだと感じるたびに、限りない感謝の念にあふれていました。宗教心が育ち始めましたが、それは、イエスの十字架上の血のことばにだけ基づいたものでした。

しかしながら、時がたつにつれ、宗教生活は、自身の弱さと行ないによる罪に侵されるようになりました。信条がイエスの十字架上の血だけに基づいたものであったために、行ないによる罪は完全には洗い流されていませんでした。私は、悔い改めの祈りをささげて行ないによる罪を洗い流そうとしました。しかしながら、神から赦しを受けようとしてささげた祈りでは、行ないによる罪を完全に洗い流すことはできませんでした。それはみな、神の律法を守ることができなかったためです。行ないによる罪が積もり始めました。

悔い改めの祈りでは罪が完全に洗い流されなかったのですが、それでも、同じ祈りを繰り返すしかありませんでした。罪を犯すたびに、悔い改めの祈りとイエスの十字架上の血とのことを思って洗い流されるものと考えていました。宗教生活を続ければ続けるほど、弱さのため、行ないによる罪が積もっていきます。苦しみは罪のために増すばかりでした。

私はパリサイ人のようなキリスト教徒になり、罪の重荷を負ったまま執事に任じられ、後には福音伝道者になりました。行ないによる罪の痛みを感じるたびに、それが魂をきよめる唯一の方法だと思って、福音を説きに出かけました。しかし、行ないによる罪は、自己犠牲の教えに基づいたような信仰によっては洗い流されませんでした。

サタンに捕らえられたことさえありました。行ないによる罪のために呪われ、自分の違反のせいで死にたいとさえ思いました。「あなたは罪を犯しましたよね。」 サタンは私の罪のことで呪い、苦しめ続けました。 

信仰は崩壊しそうになっていました。イエスの血と悔い改めの祈りだけでは、行ないによる罪を洗い流すことができないことを知り、やがて欲求不満状態に陥りました。

神学校でカルヴァン主義を学び、ヨハネによるイエスのバプテスマの理由に興味をもつようになりました。何人もの教授に、なぜイエス・キリストはヨルダン川でヨハネからバプテスマをお受けになったのかと尋ねました。しかし、答えはいつも、謙虚さを示すためとか、自分が神の御子であることを告げるためにバプテスマをお受けになったのだといった、決まりきったものでした。しかしながら、そうした答えは私の知りたいという思いを満足させませんでした。



ヨハネによるイエスのバプテスマの真実によってすばらしい福音を知った

神学校で学んだ後、罪はまだ洗い流されておらず、その重みのためにそれまで以上に苦しみました。それがある日、イエスがバプテスマをお受けになった理由、バプテスマによってすべての正しいことが実行されるとおっしゃったわけがわかったのです。それは、ヨルダン川でのバプテスマによって罪がみなイエスの上に移されたとする、すばらしい福音でした。神は、記されたみことばからこの真理に気づくようにしてくださいました。

すばらしい福音の記録されたみことばを何度も読み返してから、ついに、ヨハネがイエスに授けたバプテスマによって、罪がみなイエスの上に移され、そうして負われた罪のためにイエスは十字架上で裁かれたのだという真理に気づいたのです。

気づいたその時、御霊が内に宿るようになりました。このすばらしい福音を理解し、信じたとき、心にあった罪は完全に赦されました。私を欲求不満にさせ、絶望させて苦しめた罪は、すばらしい福音の力で完全に洗い流されました。果てしない献身と悔い改めの祈りでも消すことができなかった罪がみな、ただ一度で完全に消えたのです。主に心から感謝いたします。

イエスの十字架上の血だけによっては世の罪をすべて洗い流すことができないというのは、ほんとうです。ヨハネがイエスに授けたバプテスマもまた、罪の赦しへと導くのです。今、水と御霊のすばらしい福音のおかげで罪がみな洗い流されたことをすべての人が理解し、信じなければなりません。私は、水と御霊のすばらしい福音と、神が御子のことをあかしなさったあかしのみことばとを信じています。それは私の心から罪をすっかり除き、心の底深くに御霊が宿られるようになりました。すばらしい福音を信じたために、鳩のような御霊を受けました。

その日から、御霊が心の中で働かれ、私が霊的仕事、つまり、すばらしい福音を説くことができるようにしてくださっています。今、私の心には罪がありません。ヨハネによるイエスのバプテスマと十字架上の血とが罪の赦しをあかしし、私は御霊を受けることができました。ハレルヤ。主をたたえます。水と御霊の福音を信じるようになった日、聖霊が静かに鳩のように私の上に下られ、内に宿られました。御霊は心の中で、時には鳩のように、別の時には溶鉱炉のように働きを始められました。

みなさんもまた、水と御霊のすばらしい福音を受け入れ、信じるなら、御霊を受けることができます。私と一緒に水と御霊のすばらしい福音を信じて御霊を受け、主をたたえませんか? 私と一緒に水と御霊のすばらしい福音を全世界に宣べ広めて働きませんか? 水と御霊のすばらしい福音は人を聖化し、内に御霊が宿るようにします。神の義が福音の内に明かされ、信仰に始まり、信仰に進ませます。水と御霊のすばらしい福音への信仰によってのみ御霊を受けられるのは、そのためです。



御霊がしてくださったすばらしいこと

御霊を受けた後、すばらしい福音を説くために新しい教会で働き始めました。御霊のおかげで、すばらしい福音を力強く説くことができました。

次のような出来事が起こったのは、そんな時でした。私の住んでいた市には、外国人客を相手に仕事をしている仕立屋がいました。この人は執事でもありました。誰かとの用談のために地元のホテルに立ち寄り、そこで教会のポスターを目にしました。教会への誘いに興味をもち、私に連絡してきました。私に会うと、長い間罪の中で生きて来たと言います。水と御霊の福音について五時間話し合って、ついにその人は罪の赦しの真理を認めました。新たに生まれ、同時に御霊を受けたのです。

また、私が教会の建物を探しに出かけたとき、次のようなことがありました。とてもよい、広々とした建物を見つけました。しかし、当時、そこを教会の建物として借りるだけのお金がありませんでした。予定していたよりもずっと高価なその建物を借りることは不可能のように思われました。しかしながら、内なる御霊がおっしゃいました。「しっかりしなさい、自信をもちなさい。」 驚いたことに、私は御霊の助けによって教会の建物を手に入れて、主のために働くことができたのです。それ以来、御霊は私が水と御霊のすばらしい福音を説くようになさいました。御霊は今この時にも心の内に宿られ、すばらしい福音をすべての人に説くようにと促しておられます。そして、実際に、すばらしい福音を聞いて信じる人々が御霊を受けています。

このすばらしい福音を説く力をお与えくださった御霊に感謝いたします。御霊がしてくださったことのすべてを書くことは、私の全生涯をもっても不十分なことはわかっています。御霊は、心から豊かに流れ出る生ける水とともに生きるようにしてくださいます。内に宿る御霊に感謝いたします。



御霊は、水と御霊の福音によって ともに歩む教会を建てられた

かつて、すばらしい福音を説きに荒野に行ったことがあります。その時、神は小さな町へと私を導かれました。私はそこで、神を求めていた人々の小さな集まりに出席しました。神は私がすばらしい福音を説くようにしてくださり、その人たちは御霊を受けました。その人たちは、すばらしい福音を聞き、信じて御霊を受けたのです。御霊はその人たちが仲間の働き手となるよう導かれ、以来、私はその人たちと一緒に全世界にこのすばらしい福音を宣べ広めるようになりました。

当時、その人たちはごく少数のグループで、どの教派にも属していませんでした。神のみことばにしたがって生きることは望んでいましたが、罪に隷属していたために、それまでは罪の赦しを求めて神に叫ぶことを熱心にしていました。御霊は私をその人たちの所へと導かれ、すばらしい福音を説くようにと促されました。御霊がその人たちと私が会うように備えてくださったことが見て取れました。神は、私がレビ記に記されているいけにえの制度をはじめとして、水と御霊のすばらしい福音を説くようになさり、その人たちは、すばらしい福音のみことばによって御霊を受けました。

神は、すばらしい福音への信者と共に聖霊の教会を建てられました。聖霊は、すばらしい福音によって彼らをイエスの弟子となさいました。今、さらに多くの羊が御霊を受けて教会に入るようになっています。

御霊は、ミッションスクールを設立して弟子を育てるように導いてくださいました。神は、私がみことばを人々に教え、その人たちが信仰をもって従い、神の働き手として仕えることを学ぶのを助けるようにしてくださいました。彼らの行く先々ですばらしい福音のわざが行なわれるようになさり、神は彼らを通じて教会を建てられました。御霊は、しもべが水と御霊のすばらしい福音を宣べ広めるのを導いてこられました。御霊は、罪の赦しを受けた義人を導かれ、教会と結びついてこの世で正しい生を生きるよう恵まれました。

サタンは遠い昔から人々を欺いてきましたが、これからもそうするでしょう。サタンは、悔い改めの祈りや断食、手を置くことによって御霊を受けることができると言います。これはまったくの嘘です。人は悔い改めの祈りや手を置くことによっては御霊を受けることができません。神がお与えくださった水と御霊の福音を信じて罪をすべて赦されてはじめて、人は御霊を受けるのです。これが、御霊が宿ることについての真の意味です。御霊は、人々が御霊を受けるのを助けるために、イエス・キリストの弟子たちが水と御霊のすばらしい福音を説くのを導き続けてきました。



御霊は文書を通して世界中に教えを広めるよう導かれる

パウロは、その手紙という形ですばらしい福音を残しましたが、心に宿っておられる御霊は、私にとっては水と御霊のすばらしい福音を書物という形で宣べ広めるための触媒の役を果たしておられます。私たちがすばらしい福音について語り、人々が御霊を受けるように導くキリスト教図書を出版しているのは、このためです。最初は、ほんの数ページの小冊子で始めましたが、じきに、すばらしい福音について語る本が全世界に広まりました。

内に宿っておられる御霊は、より多くの人々が本を読んですばらしい福音を信じ、罪の赦しを受け、教会に入るよう導いておられます。さらに御霊は、すばらしい福音をさまざまな外国語で広めるよう導かれます。すばらしい福音を、米国を含め、世界中のおよそ百五十カ国に伝えるよう導かれました。

教会が世界宣教のために祈るようになさり、多くの国の人々が聞いて信じられるよう、すばらしい福音をさまざまな言語に翻訳して文書による宣教を行なうよう導かれました。御霊は、他の国の新たな弟子たちと協力して、すばらしい福音をともに宣べ広めるよう導かれました。御霊に感謝いたします。

御霊は、福音をロシアに広めようという熱意で満たしてくださいました。御霊は、祈るように導かれ、真理を求めるロシア人福音伝道者に出会ってすばらしい福音を説く機会をくださいました。彼らはそのとき初めてすばらしい福音を聞いたのです。水と御霊のすばらしい福音を聞き、信じて、彼らは私たちと同じように御霊を受けました。

その一人、モスクワにある国立大学の教授は、水と御霊のすばらしい福音を聞いた後で、次のような告白をなさいました。

「私は、六年間神を信じてきましたが、ほんとうに神を理解することなく信じていました。しかしながら、水と御霊のすばらしい福音についてお聞きして、深い信仰をもち、心に穏やかな安らぎを覚えました。ほんとうに主に感謝しています。それまでは、自分は正しい信仰をもって正しい生き方をしているものと思っていました。私の宗教生活は、人類の罪のために死なれたイエスの血を信じることだけからなっていました。しかしながら、神が私の罪をすべてきよめてくださったとは、夢にも思いませんでした。

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御霊にっいたすバてのこと.

それが、新たに生まれた牧師にお会いして、神がくださったすばらしい福音について聞き、自分がまだ罪人であったことを知りました。すばらしい福音について、それに、義人であるということがどういうことなのかということについて、もっと知ろうとしました。私の罪がみな、イエスがバプテスマをお受けになったときにその上に移されたことを知りました。それが、すばらしい福音でした。原罪だけではなく、日々の罪も、将来の罪も、バプテスマによってイエスの上に移されたことがわかりました。この真理の福音を聞いて、新たに生まれるという、すばらしい喜びを得ました。」

この教授を含めて大勢のロシア人が水と御霊のすばらしい福音を聞き、信じて御霊を受けました。今、聖霊の教会がロシアに建てられ、御霊の働きにより、さらに多くの人々がすばらしい福音を信じるようになっています。神は、こうしたことすべてをなさいました。ですから、特に聖霊に感謝をささげます。

聖霊は、水と御霊のすばらしい福音を信じた人々全員と同様に、私の内にも宿られて、新たに生まれたキリスト教徒にしてくださいました。そして今、私はすばらしい福音を世界に宣べ広めています。御霊はすばらしい福音についての本が、英語ばかりではなく、世界中の数多くの他の言語に絶え間なく翻訳されるようになさいます。御霊は、私たちがすばらしい福音を全世界に宣べ広めるようになさいます。御霊に感謝いたします。みなさんもまた、御霊を受けることができます。神は、みなさんが御霊を内にもたれることをお望みです。

多くの人々が主の名を呼び、神に必死に祈りをささげて御霊を受けようとします。しかしながら、イエスのくださった水と御霊のすばらしい福音を抜きにして御霊を受けようとすることは、誤りです。イエスの水と御霊のすばらしい福音を抜きにして御霊を受けることができるというのは、誤った教えです。

イエスの弟子たちは、イエスがお与えになったすばらしい福音を信じることなしに御霊を受けたのでしょうか。いいえ、絶対に違います。よろしいですか、今日、水と御霊のすばらしい福音を信じる者の内に御霊が宿られ、聖霊の生ける水がその心から流れ出ているのです。たった今も、聖霊の生ける水は、すばらしい福音とともに私の心から流れ出ています。ハレルヤ。主に感謝いたします。

 

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