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[42-8] < マルコ 8:27-38 > 神に対する真の信仰を告白しよう



< マルコ 8:27-38 >

「それから、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた。その途中、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。『人々はわたしをだれだと言っていますか。』 彼らは答えて言った。『バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。』 するとイエスは、彼らに尋ねられた。『では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。』 ペテロが答えてイエスに言った。『あなたは、キリストです。』 するとイエスは、自分のことをだれにも言わないようにと、彼らを戒められた。それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。しかも、はっきりとこの事がらを話された。するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。しかし、イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた。『下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。』 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。』」



お久しぶりです。主の日が過ぎ、今は水曜日です。前回お会いしてから久しぶりのようですが、月曜、火曜、水曜はこんなに長い時間のようです。

すぐに終わるように見えた仕事もありますが、まだ終えていない仕事もあり、それというのは、私たちのキリスト教文書シリーズの三冊目の本を出版する仕事です。私たち編集者が印刷所から今日の本が印刷する準備をしていると、私たちに教えてくれました。この後、誰かが仮製本を検査しなければなりません。出版作業を完璧に終わらせるためには、仮製本を最初からもう一度校正する必要がありますが、完璧にしすぎると時間がかかりすぎて、実際にはいくつかの面で悪化する可能性があります。ですから、ある程度完成していても完成だと考えています。

私たちの教会には、様々な賜物を持っている聖徒たちが大勢いて、彼らの多くは、本当に自分の賜物について傲慢ではなく、謙虚であることがわかります。兄弟たちはとても勇気があり、姉妹たちはとても謙虚に見えます。このように、彼らは時々、私たちが頼むすべての仕事をできないと言いますが、うまくやり遂げ、私はこれにとても感謝しています。多くの働き手や聖徒たちが、私たちの宣教会の本シリーズの第三巻を出版するために一生懸命働いてきました。この本は、多くの働き手の愛情を込めて出版されていると思います。この仕事に直接関わってきた聖徒たちや宣教の働き手もいれば、物質的なものを支給してくれた人もいます。私たちはみな、この文書宣教に仕えることを志願しました。また、宣教の本シリーズのこの第三巻を出版することも、非常に困難でした。とにかく、私たちはみな、とても一生懸命働いてきました。しかし、私は私たちの努力がここで止まることを望んでいません。むしろ、神の福音の伝道を続けてほしいのです。最近の世界はとても暗いので、私たちは水と御霊の福音をもっと早く広めなければならないと思います。



私たちの本の読者からのメッセージ


今日、私は教会で説教する直前に海外から一通のメールを受け取りました。南アフリカのビスタ大学学長の秘書である「マリア・チェジブ」から送られてきたメールです。学長に送られたすべての手紙とメールは秘書を経由し、彼女は私たちが水と御霊の福音に関する無料の本に関してこの学長に送ったメールを見ました。この秘書は、私たちの本を二冊読んだと言って、もっと読むように要求してきました。マリアと呼ばれるこの女性は、結婚して32年になり、彼女は布教活動にも非常に熱心に取り組んできたと言いました。彼女のメールの翻訳内容は、次のとおりです。

「イエスがバプテスマのヨハネからバプテスマを受けた理由を知ることがどれほど重要か、私はまったく知りませんでした。けれども、これらの本は、聖書により、水と御霊の福音によって新しく生まれることが何であるかを私に理解させました。長い間教会に通っていたのに、ついに、今まで知らなかった水と御霊の福音をほんとうに理解するようになりました。これらの本をまだ聞いたことがない人と分かち合いたいと思います。そして、私は多くのキリスト教徒の友達にこの福音について話さなければならないことに気づきました。そうすれば、彼らも私のように水と御霊によって新しく生まれることができます。今、私は自分の救いを絶対に受けていることを知っています。私には救いの鍵があります。イエスのバプテスマと十字架での死によって新しく生まれました。私の救い主は生きています。」

彼女は私にそのような内容の電子メールを送った。 「愛する聖徒の皆さん、私が今読んだことを聞いたことがありますか? アフリカの国々についてはよくわかりませんが、アフリカの一部の地域はとても悲惨な状態にあります。 彼らは、エイズの大流行と横行する犯罪のために、いくつかの地域は非常に危険であると言います。 彼らは、ジンバブエの国の人口の30%がエイズに感染しており、多くの人々が毎日この病気で亡くなっていると言います。 とても悲惨な国なので、水と御霊の福音ができるだけ早くその国に入り、多くの魂を罪から救ってほしいのです。」



あなたはイエス・キリストが誰であると言いますか?


今日の聖書箇所で、イエスは弟子たちに「私はだれだと言うのですか」と尋ねました。弟子たちは答えました、「バプテスマのヨハネ。しかし、エリヤと言う人もいます。と他の人、預言者の一人。」これで、イエスは再び弟子たちに尋ねました、「しかし、あなたは私が誰だと言うのですか?」ペテロは自分の信仰を告白し、「あなたはキリストです」と言いました。それからイエスは、ペテロにこれを知らせたのは父なる神であると言われました。この「あなたはキリストである」という自白は短いですが、主が私たちの救い主であることを簡潔かつ有意義に示した自白です。

イエスの時代に生きていたほとんどのイスラエル人は、イエスを旧約聖書の預言者の一人と考えていましたが、実際にはイエスは彼らの救い主でした。今でも、多くのユダヤ人はイエスを神の子ではなく旧約聖書の預言者の一人と考えています。したがって、イエス・キリストが実際には神の子であり、すべての人類の救い主であるとイスラエル人に説教することは非常に困難です。彼らはまた、イエスがキリストであることを認めていないので、新約聖書を認めていません。旧約聖書の言葉だけがすべてであると考えていても、彼らはまだ救い主を待っています。彼らは、イエス・キリストがすでにこの世に来て、水の福音によってすべての罪人を完全に救い、御霊が死からよみがえり、今や天国の王座に座っているにもかかわらず、そのように考えています。しかし、これらすべてにもかかわらず、彼らはまだ救い主を待っています。

彼らはメシアを待っていますが、メシアであるイエス・キリストはすでに来て、神の子が転生したときに彼の義の救いを成就しました。ですから、イスラエル人に福音を宣べ伝えるためには、まず、イエスが彼らが待ち望んでいたメシアであることを彼らに知らせなければなりません。彼らが私たちのようにこれを知るようになれば、彼らは真の救いの信仰を持つようになるでしょう。しかし、イスラエル人はすぐに水と御霊の福音を心に受け入れ、それを信じるようになると確信しています。最近でも、イスラエル人はその上に手を置くことによって罪をいけにえのささげ物に渡し、毎年贖罪の日に喉を切り、血をまき散らすことによってこの贖いの犠牲をささげます。しかし、イエスが彼らが待ち望んでいたメシアであるという事実を受け入れただけなら、バプテスマのヨハネから受けたバプテスマとその死によってイエスが神の小羊になったという事実を信じることによって、罪からの救いを受けるでしょう。十字架上。

イエスは弟子たちに、「人は私が誰だと言うのですか」と尋ねました。彼らは答えました、「バプテスマのヨハネ。しかし、エリヤと言う人もいます。と他の人、預言者の一人。」それらのイスラエル人は、イエスがメシアであるとか、神の子であるとは信じていませんでした。この洗礼者ヨハネは誰ですか?彼は神の僕です。では、エリヤは誰でしたか?彼は神の僕でもありました。彼らは皆、イエスのようなメシアではなく、預言者または神の僕の一人でした。それでも、当時の人々はイエスをそのような人々と同じだと考えていました。

それにもかかわらず、ペテロは「あなたはキリストであり、生ける神の子です」と告白しました(マタイ16:16)。ペテロは、イエスは神とキリストの子であると言いました。ペテロは、イエスが父なる神とキリストの子であることを父を通して知り、信じていました。したがって、イエスは私たちの神であり、天国の大祭司でもあります。イエス・キリストは、バプテスマによって私たちの罪をすべて彼の体に負わせ、十字架で死に、そして死からよみがえられました。そして彼は私たちを完全に救った真の救い主です。水と御霊の福音の信仰は、このペテロの短い告白に含まれています。

「キリスト」という言葉は「油そそがれた王」を意味します(ダニエル9:26、ヨハネ1:41)。旧約聖書では、王、祭司、預言者が油を注ぐことができました。イスラエルでは、王、預言者、または大祭司​​として彼に油を注いだとき、彼らは人の頭に油を注ぎました。父なる神は御子をイエス・キリストと名づけられました。それは、御子を通して私たちを罪から救う働きを神がなさったからです。ですから、私たちの主はこの世に来て、私たちの王、私たちの預言者になり、バプテスマを受けて私たちの罪をすべて彼の体に負わせた天の大祭司の責任も果たしました。彼は天国の大祭司としてこの世に来て、私たちの罪をすべて自分に負わせました。主は、王、大祭司、預言者の3つの義務を果たすことによって、水と御霊の福音を今や信じている私たちを救われました。ですから、イエスは私たちの大祭司であり、私たちの主人であり、水と御霊の福音によって世の罪から私たちを救われた救い主です。イエスは、私たちがこの世に生まれた理由と、私たちをすべての罪から救う水と御霊の福音の真理とは何かを私たちに示す真理の預言者でした。私たちの主は天国の大祭司としてこの世に来られ、私たちの罪をすべて自分に負わせました。彼は、この世の罪を旧約聖書のいけにえの子羊や山羊に渡すのではなく、自分の体にこの世の罪を負わせました。主は、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けることによって、世の罪を自分自身に一度だけ受け止めることによって、私たちのための贖罪となりました。

イエスが十字架で死にかけているとき、ピラトは十字架に「ナザレスのイエス、ユダヤ人の王」というタイトルを書きました。それから、これを見たイスラエル人は、「私はユダヤ人の王です」と言ったのに、「 『ユダヤ人の王』を書かないでください」と要求しました。しかしピラトは、「私が書いたもの、私は書いた」と答えました。 (ヨハネ19:22)。しかし、イエスは本当にすべての王の王であり、全宇宙の主人です。

この時代のイエス様の義を知っている人とは、イエス様がくださった水の福音と御霊を信じる人です。水と御霊の福音を信じる私たちにとって、イエス・キリストは真の大祭司であり、この宇宙を作った創造主であり、来るべき裁判官です。イエスはこの世に戻り、水と御霊の福音を信じて新たに生まれた聖徒たちをよみがえらせ、天国に連れて行ってくださいます。私たちは神の王国で救い主と共に永遠に生きるようになります。イエスは私たちの神であり、そのような力を持っている大祭司です。イエスは私たちと一緒に住み、永遠にそして義にかなった私たちを支配する王です。信じない人にイエス・キリストがどのように見えるかはわかりませんが、イエス・キリストは王の王であり、人類の救い主であり、永遠の裁判官です。

聖書の言葉はイエス・キリストについての言葉です。旧約聖書は、イエスが来て私たちをすべての罪から救ってくださると予言し、新約聖書は、旧約聖書が成就するというこの約束について語っています。神のことばには、それだけでなく、政治、経済、文化、科学、未来、現在、過去、生きがい、人間の生活など、あらゆるものが含まれています。このように、みことばを正しく知り、水と御霊の福音を悟れば、罪の赦しを受けるようになります。

これらの終わりの時に生きるあなたと私も、ペテロのそれと同じように、この真の信仰告白を持っていなければなりません。親愛なる仲間の信者たち、あなたはあなたの心にそのような真の信仰を持っていますか?私たちはそのような真の信仰告白とともに生きなければなりません。この短い人生を生きている間、私たちはイエスが王の王であり、大祭司であり、そして預言者でもあることを知り、信じなければなりません。一方、イエス・キリストの義を信じず、それを拒むなら、私たちは永遠に滅ぼされます。神の義を軽んじて無視する愚かな人々のようになってほしくありません。



あなたはまたあなたの心の中に告白を持たなければなりません「イエスはキリストです!」と言う信仰の


ペテロがイエスに真の信仰を告白したとき、彼は彼に言った、「わたしはあなたに天国の鍵を与えます。あなたが地上で縛ったものはすべて天で縛られ、あなたが地上で解いたものはすべて天国で解き放たれた」(マタイ16:19)。イエスは、真の信仰を告白したペテロに天国の鍵を与えると言われました。

親愛なる仲間の信者たち、「天国の王国の鍵」とは何ですか?すべての人の罪を清めるのは福音とそれに対する信仰です。どんな福音が人を天国に入れるのでしょうか?それは水と御霊の福音に他なりません。この水と御霊の福音は、バプテスマのヨハネからバプテスマを受け、十字架につけられて血を流され、死者の中からよみがえられて、世の罪をすべて自分に負わせた主の福音です。天国の鍵は、主が成就した水と御霊の福音を信じる信仰です。ですから、「あなたはキリストであり、生ける神の子です」(マタイ16:16)というこの信仰が必要です。この真の信仰とは、主が神の子であり、私たちの王であり、天国の大祭司としてこの世に来られた救い主であると信じる信仰です。このように、イエスはバプテスマのヨハネからバプテスマを受けて私たちの罪をすべて取り、十字架で死んだ罪のために十字架で十字架につけられ、十字架で死んだ後3日で死からよみがえられました。主が水と御霊の福音によって世の罪から私たちを救ってくださったと信じることは、真の信仰です。イエスは、私たちの罪をすべて自分自身に負わせ、それらを完全に消し去り、私たちに新しい命を与えてくださった神です。主はすべてのものの始まりと終わりを知っておられ、またすべてのものを支配されました。ペテロがそのような信仰を告白したとき、イエスは水と天の王国の鍵である御霊の福音を宣べ伝える仕事を彼に任せました。

水と御霊の福音を信じて説教しなければならないという信仰がありますか?主は私たちの救い主となり、主が成し遂げられた働きは、水と御霊の福音の真理です。したがって、私たちの救い主はイエス・キリストです。主は生ける神の御子であるキリストであるという信仰がありますか?

私たちの真の救い主はイエス・キリストです。そのような信仰告白をするためには、水と御霊の福音を告白するこの信仰が必要です。この水と御霊の福音を心に信じる信仰が必要です。親愛なる仲間の信者たち、それはあなたがイエスを救い主として信じているという理由だけで、あなたが水と御霊の福音を信じる知識と信仰を持っているという意味ではありません。イエス・キリストが水と御霊の福音によって全人類を救われたことを知らずに神を信じる教会の出席者はたくさんいます。キリストが「油そそがれた者」を意味することを聞いて知っている人もいますが、多くの人は、キリストが私たちの罪を自分に負わせ、水と御霊の福音によって血を流すことによって実際に私たちを救われたことを知りません。それで私が彼らに尋ねると、「油そそがれた者の意味は何ですか?」彼らは私の質問に対する彼らのばかげた答えをつぶやくしかないのです。ですから、水と御霊の福音を信じる者だけが、「主はキリストであり、生ける神の子である」という告白の意味を知っていると言えます。言い換えれば、主がヨハネからバプテスマを受けてこの世の罪を犯し、十字架で死に、そして死からよみがえられたと信じる信仰は、「主はキリストです!」と公言できる信仰です。



水の福音を信じましたかと霊は救いの真理ですか?


水と御霊の福音は本当に救いの福音だと思いますか?もしそうなら、あなたはイエスが宇宙を創造した神の子であり、水と御霊の福音によってあなたの罪をすべて消し去った救い主であると信じますか?天国の鍵を持っている人々の信仰は、主がバプテスマのヨハネから受けたバプテスマ、十字架上の血によって私たちの罪をすべて引き継いで救われたと信じる信仰です。 、そして死からよみがえりました。このような私たちは、世の罪から救いを受けました。

これを行うために、イエスは私たちに、神の律法を通して私たちがどんな危険な罪人であったかを悟らせ、知ってもらいました。そして、私たち自身では解決できない私たちの罪の問題を完全に解決し、私たちの救いを完成させました。そして、主はどのようにそれらすべての罪を消し去ったかを教えてくれました。私たちは水と御霊の福音を信じることによってすべての罪から救いを受けることによって神の子供になることができました。私たちは、イエスが私たちに与えてくださったこの真の福音を信じることによって、救いの恵みを一度も受けました。私たちは水と御霊の福音を信じることによって天国に入る資格があります。 「主よ、あなたはキリストです」と公言する信仰を心に抱いているなら、あなたは天国への鍵を持っています。

今日の聖書箇所で、ペテロの信仰の告白を聞いたイエスは、弟子たちにこの事実を誰にも言わないように、そして彼はまもなく祭司長、長老たち、そしてこの世の律法学者の手によって死ぬだろうと言われました。そして彼は、3日で死者の中から復活するだろうとはっきりと言いました。

しかし、ペテロはイエスが彼の仕事をするのを止めようとしました。ペテロは、「あなたはキリストです。なぜ突然死ぬと言っているのですか?なぜあなたはそれらの人々に殺されるのですか?」強い騎士道の精神を持っていたペテロは、イエスが十字架で死ぬのを防ぐために最善を尽くしていました。私たちが人間の視点で彼を見れば、彼はイエスへの忠誠心を称えられるに値するかもしれません。

しかし、イエスはペテロを叱責し、「サタンよ、わたしの後ろに立ちなさい!あなたは神のことを気にかけているのではなく、人のことを気にかけているからです。」なぜイエスはペテロをサタンと呼んだのですか?ペテロが本当にサタンだったので、彼がこれを言ったと思いますか?ペテロは神のことではなく人のことを考えたので、イエスはこれを言われました。サタンは、ペテロのこれらの肉体的な考えを誘発することによって、私たちのために彼の血を流す仕事を遂行することからイエス・キリストを思いとどまらせようとしていました。水と御霊の福音を信じる私たちもこんな感じです。私たちは人間のことを考えるのではなく、神のことを考えるべきです。人のことを考えると、私たちもサタンの奴隷になります。ペテロはただせっかちな人であり、気質の良い人でしたが、イエスは彼が行っていた仕事を止めようとしたので、彼をサタンと呼びました。主は人間の働きと神の働きを明確に区別し、主に従うためには自分を否定し、自分の十字架を背負わなければならないと言われました。皆さんがこの言葉を理解していることを私は知っています。



私たちは実際に自分自身を否定し、従うべきです霊的な生活を送る主


私たちの肉体がとても強いので、私たちが自分自身を否定するのに苦労することがよくあります。肉を否定しなければ、イエス様に従うことができないからです。私たちの肉の考えと主の考えは完全に反対であるため、私たちの肉の考えを否定しなければ、私たちは主に従うことはできません。ですから、私たちは主に従うために自分自身を否定しなければなりません。

そして主はまた、イエスと彼がこの不倫で罪深い世代で語った言葉を信じることを恥じている人は誰でも、聖なる天使たちと一緒に父の栄光の中で再びこの世に来るとき、その人を恥じるであろうと述べています。 「この姦淫的で罪深い世代のわたしとわたしの言葉を恥じる者はだれでも、人の子もまた、聖なる天使たちと共に父の栄光のうちに来るとき、恥じるであろう」と書かれています(マルコ8:38)。 )。イエスはこの世にいる間、私たちに多くのことを言われました。私たちは自分の十字架を背負い、自分自身を否定し、イエスが成し遂げた働きとイエスが語られた言葉を本当に信じるなら、イエスに従います。そして、私たちは福音を悟り、信じ、信仰を通して多くのことを成し遂げるようになります。しかし、もしあなたが信仰を持っていないか、信仰を持っていて、あなた自身の肉の欲望の後に故意にイエスの言葉を捨て、この世の人々の前でイエスを信じることを恥じているなら、イエスも同様にあなたを恥じます。 「主はキリストであり、生ける神の子である」と言うような救いの信仰がない場合、またはイエスが語られたすべての言葉を恥じている場合、彼はこの世界に戻ったときにもあなたを恥じます。父の栄光と裁きの玉座に座っている世界を裁きます。

水と御霊の福音を信じ、主に従うことは私たちの生活に関係しています。主はマルコによる福音書第8章35節で、「命を救いたいと願う者はそれを失うが、わたしのために命を失う者と福音はそれを救う」と言われました。あなたが彼を信じるならば、あなたは永遠の命、救い、そして祝福を受けることができます。神が約束されたみことばを信じるなら、あなたは主からすべてを受け取るでしょう。しかし、もしあなたが彼の言葉を信じず、代わりにそれを拒絶し、それを恥じて、それから遠く離れるとどうなるでしょうか?それはあなたがあなたの命を失うことを意味します。あなたは永遠に呪われます。それはこの人生と次の人生でも同じです。イエスはまた、そのような人を恥じており、そのような人がイエスの王国に入ることを望んでいません。では、それは永遠の死ではありませんか?はい、そのような人は永遠に破壊されます。

主は言われた、「わたしのあとに来て、自分を否定し、十字架を背負って、わたしに従いたいと願う者はだれでも」(マルコ8:34)。私たちはこの言葉をよく知っています。しかし、実際に困難な状況に直面した場合、私たちが主に従うことは困難になります。そのような時、私たちは自分自身をさらに否定し、自分の十字架を背負って主に従う必要があります。私たちは困難な状況に置かれ、自分自身を否定せずに主に従うことはできません。そして、このように従わずに救いを受けることは不可能です。

聖書の多くの場所で、主は終わりの時の事柄と困難に一致する信仰について多くのことを語られました。終わりの時に起こる出来事の一つは、信仰を裏切る人がたくさんいるということです。それは、多くの信者が教会を去り、教会と団結して福音に仕える仕事から離れ、「私はとても疲れています。これは難しすぎる。世界がとても難しいとき、私たちは絶対にこのように生きなければなりませんか?この福音が本物であることは事実です。しかし、私は絶対にこのように福音に従わなければなりませんか?」主は、そのようなことが、特に終わりの時にもっともっと起こるだろうと言われました。そして、そのようなことが今でも新生教会で実際に起こっています。

水と御霊の福音を信じる信仰を裏切って、次の福音を追う人がいるなら、神様はその人を許されません。神の教会はそのような人に何度か忠告することができますが、その人が振り返って水と御霊の福音に戻らなければ、これ以上何もできません。この福音がすべてではなく、ただお金を稼ぎ、肉のために繁栄したいと言ったら、誰がそのような人を止めることができるでしょうか。しかし、食物と避難所のすべての基本的な必需品は、水と神の義である御霊の福音に仕えることによって解決されます。

主はまた、マタイによる福音書の第18章15節から17節で、次のように述べています。彼があなたの言うことを聞いたら、あなたはあなたの兄弟を手に入れました。しかし、もし彼が聞かないなら、もう一、二人連れて行ってください。「二、三人の証人の口によって、すべての言葉が確立されるでしょう。」そして彼がそれらを聞くことを拒否するなら、それを教会に伝えてください。しかし、彼が教会の話を聞くことさえ拒否した場合は、異教徒や徴税人のように彼をあなたのところに行かせてください。」この箇所は、私たちが一度か二度忠告した後も聞いていないなら、また教会の忠告さえ聞いていないなら、そのような人を紳士として扱うべきだと言っています。そのような人が水と御霊の福音に仕えたくないので、どうすればそのような人が教会から世界に出て行くのを止めることができるでしょうか。 「これが嫌いですか?あなたは水の福音と御霊が真理であるとは思いませんよね?」そして、その人が「水と御霊の福音だけが真の救いの福音であるとは思わない」と答えた場合、教会はもはや彼を止めようとはしません。何度か彼に忠告しますが、「水と御霊の福音は救いの真理ではない」と言われたら、神でさえ彼を止めることはできません。そんな人を無理やり抱きしめると、その人に預けられた羊が殺されるという状況になります。主は言われた、「わたしはあなたに天国の鍵を与え、あなたが地上で縛ったものはすべて天で縛られ、あなたが地上で解いたものはすべて天で解かれる」(マタイ16:9)。人がイエスを否定し、福音を否定し、また神の言葉を捨てるなら、イエスでさえこの人をこのように扱うでしょう。私はこのみことばを共有しているのは、それがみことばで書かれているからであり、今私たちの中にこのような人がいるからではありません。

実は私にとってもとても難しいです。この地球の終わりがいつになるかはわかりません。しかし、私が言えることの一つは、この水と御霊の福音を説教する時間があまり残っていないということです。水と御霊の福音を快適に宣べ伝えることができるのは、今後数年だけです。この平和な期間が過ぎると、この福音を宣べ伝えることは難しいでしょう。この世界がさらに危険になるからです。主は言われた、「そして、この王国の福音は、すべての国々の証人として全世界で宣べ伝えられ、それから終わりが来る」(マタイ24:14)。これは、私たちがすでに全世界で福音を宣べ伝えていたならば、この世界に災いが降りかかる時が来て、主が来る時が近づいたことを意味します。主がこの世に何年、何月、何日、何時に来るのか、具体的にはわかりません。どうすればそれを知ることができますか?私は神ですか?主は父なる神以外にこれを誰も知らないと言われました。しかし、主のことばに照らして見ると、この日が近づいていることがわかります。

私たちは弱いのに、自分を否定し、十字架を背負い、主に従わなければなりません。私たちがそのような人生を繰り返し生きるとき、私たちはやがて正しい道に主に従うようになります。一度に完全に自分を否定できる人は誰もいません。この世で色々なことを生き、経験しているうちに、自分を否定しなければならない瞬間に遭遇し、そのような苦難を乗り越えていくうちに、次第に自分を否定することに慣れてきます。自分を否定するのは難しいですが、心に聖霊がいるので、自分を否定できるようになります。心に聖霊がなければ、自分を否定し、十字架に従う生活を送ることはできません。

罪の赦しの福音と神のことばを信じる人は、心に聖霊を受けます。ですから、聖霊の力によって自分の間違った考えを知り、自分が間違っていることを認めた瞬間に、自分を否定することができるのです。このように否定すれば、私たちは主に従うことができます。そして、聖霊が私たちの内にあり、主に従うことが困難な状況にあっても主が私たちと共におられるので、私たちはこの困難な仕事を遂行し、主に従うようになることができます。私たちは主のおかげで主に従うようになります。しかし、私たちが頑固さと思いで主に立ち向かい、主を恥じ、主の言葉を捨てるなら、神も私たちを恥じます。ですから、「主よ、あなたはキリストです」と公言して、信仰を生き抜いてほしいのです。

親愛なる仲間の信者の皆さん、この出版の仕事が12月末までに完了するように、私たちの本の翻訳を祈りましょう。これについてもたくさんお祈りください。私たちのキリスト教文学シリーズの3冊目の本が1月より前に出版されれば、今年刈り取られた魂の数の100倍にあたる10倍の刈り取りが可能になります。書かれているように、「一粒の小麦が地面に落ちて死なない限り、それは一人のままです。しかし、それが死ぬと、多くの穀物が生まれます」(ヨハネ12:24)、福音の説教のために自分自身も犠牲にする必要があります。

福音は今や全世界にさらに急速に広がっています。福音の伝道は以前に比べて本当に100倍速くなっています。したがって、私たちは信仰を持って生き、大宣教命令が迅速に遂行されることを期待しなければなりません。親愛なる仲間の信者たち、福音が世界の終わりに宣べ伝えられるときに来るのは誰ですか?主が来ます。主が来ると思いますか?主が来られたら素晴らしいでしょうか?私たちの喜びは説明を超えています。私たちの主が来れば、あなたの心のすべての願いが叶います。この日はそれほど遠くありません。

名前は言いませんが、ある兄弟は、主が来られたら、食べたいものを全部食べたいと言いました。主が来て私たちと共に君臨するとき、ミレニアム王国で何をしたいのかと尋ねると、彼は自分の体を気にせずに食べたいものをすべて食べたいと言いました。また、教会を去ったある兄弟は、心ゆくまでロマンチックな関係を築きたいと言いました。しかし、私たちはミレニアム王国でロマンチックな関係を持つことができるでしょうか?私たちのステータスがすべて天使と同じになり、その時点で私たち全員が同じ性別になるとしたら、どのようなロマンチックな関係がありますか?私たちの心が今のような欲望を感じるとき、そのような関係は可能ですが、私たちの心は奉献された状態になるので、その時はロマンチックな関係を持つことはできないと思います。

しかし、はっきりしていることの一つは、私たちのすべての願いが確実に満たされるということです。どんな願いを込めても、すべての願いが叶います。私たちの願いよりもはるかに大きいもの、私たちの願いよりも何十億倍も優れているものはすべて私たちに満たされます。夢やおとぎ話の話のように聞こえますが、それらはすべて真実です。あなたはこれを信じますか?はい、私も信じています。これはまさに「希望」です。この希望は間違いなく実現されます。この希望は、主が来るときに実現されます。ですから、主が早く来てくださることを心から願って福音を宣べ伝えなければなりません。

神の事柄よりもこの世の事柄を愛する人々は、彼らの計画とビジョンがこの堕落した世界とそれが彼らに提供できるものに包まれているので、当然キリストの再臨に反対するでしょう。彼らは選択をし、そのように生き続けるべきです。同時に、福音の神が水について語り、御霊が地球の果てまで説教され、聖徒たちが空中に捕らえられている間も主に会うために。その時、人体は戦争による自然災害や放射性崩壊にさらされるため、破壊されます。あなたがこの世界をそんなに好きなら、先に進んでこの世界に住んでください。私はイエスに従い、その天国に行きます。

ヘブライ人への手紙の第10章37節で、主は「まだしばらくの間、来られる方は来て、とどまることはありません」と言われました。 したがって、私たちは希望を持って生きなければなりません。 親愛なる仲間の信者たち、福音のために生きるのは難しいこともありますね。 これはすべての人に当てはまると思います。 それでも、福音はまもなく全世界に広まるでしょう。 それから主が来るでしょう。 希望の真っ只中に耐え、その時まで待ちましょう。 もう一度力を合わせて力強く生きていきましょう。 そして、私たちの真の信仰を告白し、福音を広める仕事をしましょう。 これまで多くの作業を行ってきましたが、やらなければならない作業はまだたくさんあります。