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FAQ on the Christian Faith

Subject 4: FAQ from the Readers of Our Books

4-6. あなたの教えから、イエスのバプテスマが人類救済には不可欠であることを知りました。では、信者の水のバプテスマはどうなのですか?これもまた、すべての聖徒に必要なことなのですか? もう一つ。バプテスマを授けてくれる新しく生まれた聖職者が私の地域にいるかどうかわからないのですが。

ホームページで読まれたように、信者の水のバプテスマは、水と御霊の福音の信者の形式としての告白に過ぎません。つまり、新しく生まれた者は、このバプテスマの儀式によって、イエス・キリストがバプテスマと磔刑とによって完了なさった完全な救済への信仰を告白することができるのです。
自らの罪深さを告白し、地獄に行く定めを認め、水と御霊の福音への信仰をもつならば、人はみな新しく生まれることができます。それだけです。
では、信者の水のバプテスマは何のためにあるのでしょう。これはもう無用なものなのでしょうか。もちろん、これは救済にとって欠くことのできない条件ではありません。しかし、これは主イエスが勧められた (マタイ 28:19) ことだということを忘れてはいけません。
ですから、できるならバプテスマを受けた方がよいのです。しかし、おっしゃる通り、誰か水と御霊によって新しく生まれた者と会わなければなりません。お知り合いの中に新しく生まれた聖徒がおられましたら、その方にバプテスマをお願いするのがよいでしょう。儀式の前に、イエスのバプテスマと十字架での死への信仰を告白します。それから、聖職者はあなたの頭に両手を置いて、次のように告げなければなりません。
「父なる神と御子イエス・キリストと聖霊の御名において、兄弟コリン、あなたに洗礼を授けます。」 聖書にしたがったバプテスマでは、全身を水に浸します。
信者のバプテスマは、婚姻の儀式によって夫と妻を法的な夫婦とするのと同じくらい確実なものです。ですから、聖徒のバプテスマの儀式はそうした内なる信条の外への宣言なのです。水のバプテスマによって主のバプテスマと十字架への信仰を神と聖徒と世の前で告白する時、信仰はより堅固になります。
しかしながら、アブラハムはまだ割礼を受けていないときに父から義人と認められ、ずっと後になってから割礼の印を受けた (ローマ 4:11) ということを忘れてはいけません。つまり、彼がすでにみことばへの信仰によって受けていた救済の印として、神は割礼を施したのです。
同様に、水のバプテスマは主のバプテスマと磔刑への信仰によって罪の赦しを受けた、新しく生まれた者の形としての儀式なのです。