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Yusuke Higashikawa

自分のすべてを主のためにささげる

マタイの福音書 25:14-30にタラントの話がありますが、この聖句から主に仕えるための多くのことを学びました。すなわち、神が与えてくださったものをすべて、主のため、福音のために使うことがとても大切だということです。時間、信仰、健康、知識、お金、所有物、英語能力、自分の身体と心も、主のために使うことです。これらは、主が私に与えてくださったものだからです。もしすべてを使うなら、もっと多くを与えられます。もしすべてを使わなければ、すべてを取り去られます。増えることも減ることもなく、そのまま残るということはありません。



例えば、花が自動的に成長して、花開くのではありません。神が日光をお与えになり、適切なときに雨を降らせてくださるから、成長します。それと同様に、私が健康であるのも、自然に健康になっているのではありません。神様がそのしもべを通して、健康的な食事を私にお与えになり、純粋な水を与え、祝福をくださるから、私は健康なのです。また、私が福音のために自分自身をささげるなら、神が私にもっと多くの健康と祝福をお与えになります。ささげないなら、私の健康を主が取り上げられるでしょう。健康も、主が私に与えた1タラントです。



「だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです」 (マタイ 25:29)。

ですから、知識は一つ、信仰は別のものです。福音の知識があっても、信仰によって実行しない人は、信仰を持っていません。聖書には、「信仰から出ていないことは、みな罪です」 (ローマ 14:23) とあります。また、「たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです」 (ヤコブ 2:26) ともあります。さらに、「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません」 (ヤコブ 1:22) とあります。



私は信仰によって実行する者になりたいです。タラントは、福音をも意味します。水と御霊の福音への信仰を持っている者は、与えられて豊かになり、この福音への信仰を持たない者は、持っているものをすべて取り上げられるということです。福音のために自分をささげない人はみな、知識だけです。それで、知識だけの人の生活は、信仰から出ていないことを悟りました。



以前、人生の問題がとても複雑に見えました。しかし、神のみことばへの信仰によって、複雑に見える人生の問題も、単純に見えるようになりました。福音のために生きるなら、もっと祝福を受け、自分の欲望と目的のために生きるなら、取り去られます。真理は明確で単純です。

「すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます」 (ルカ 12:48)。



5タラント受け取って、3タラントで商売し、残りの2タラントを隠すなら、その隠した2タラントを主が取り去られます。その2タラントを隠し持っても有益になりません。ですから、5タラント受け取ったら、5タラント全部を主のため、福音のために使わなければなりません。私は、このことも学びました。ですから、私は信仰によって、みことばを実行する者になって、自分自身を福音のためにささげたいです。神にすべての栄光を。