第 8 章は、おそらくローマ書の中で最も重要な章といえましょう。この章で紹介されているいくつかの主題によって、パウロは神の義の働きのすばらしさを表しています。
第一の主題は、「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません」(ローマ 8:1) です。これはつまり、肉においてどんなに卑しく堕落していても、神の義が人類をすべての罪から救うことにより、解放したということなのです。
第二の主題は、「肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました」(ローマ 8:3) です。これはつまり、人は肉にあっては神のお与えになった律法に従うことができないので、イエス・キリストがバプテスマによってすべての罪をその身に被り、十字架上で死ぬことによって罪と死とからお救いになったということです。イエスは地上においでになり、ヨハネによるバプテスマによって人類の罪をすべて一度にその身に被られ、世界の罪をすべて負って十字架に運び、十字架につけられ、この真理を信じる者をすべてお救いになるためによみがえられたのです。こうした主のみわざのすべては、父なる神のみこころに従い、罪人を罪から救うための神の義を全うするためでした。
第三の主題は、「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます」(ローマ 8:5) です。これはつまり、神を信じようと決めたとき私たちは、自分自身の考えによってではなく、神のみことばによって信じるべきだということです。
第四の主題は「けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです」(ローマ 8:9) です。神の義を信じる人々は、心に御霊を受けて神の子どもになります。これはまた、勤勉に教会に出席するからといって神の子になることはできないということです。
第五の主題は、「ですから、兄弟たち、私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません」(ローマ 8:12) です。この主題は、神の義を全うされた主の福音を信じることですべての罪から救われた人々は、肉に対して負うものがなく、その奴隷ではないということです。
第六の主題は 「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。わたしたちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます」(ローマ 8:15) です。神を信じる人々は御霊を受けるので、父なる神を「アバ、父」と呼ぶのです。
第七の主題は、「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。──私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人でもあります」(ローマ 8:16-17) です。神の義を信じる者は御霊を受けた者であり、御霊を受けた者はキリストと共に天の国の相続人であるのです。
第八の主題は、「私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています」(ローマ 8:22) です。これはつまり、神の義を信じる者でも、この地上の世界で他の被造物と共に苦しんでいるが、次の世では、うめくことも痛みもないだろうというのです。
第九の主題は、「神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました」(ローマ 8:30) です。これはつまり、神は罪人を御子イエス・キリストの中にお召しになり、その者たちの罪を神の義によってすべて一度に取り除いてご自分の子どもとなさったということです。
最後に、第十の主題は、「神に選ばれた人々を訴えるのは誰ですか。神が義と認めてくださるのです」(ローマ 8:33) です。神の義を信じることで、罪からの救いの贈り物として御霊を受けた神の子どもを裁ける者は誰もいません。
以上の十の主題は、ローマ人への手紙第 8 章の基本的な要点です。次に、本論の部分でこれを詳細に検討しましょう。