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 重要な主題に関する Paul C. Jong 師による説教

 

御霊は神の約束のみことばの内で働かれるく


<使徒 1:4-8>

彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。エルサレムを離れないで、私から聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ、今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」イエスは言われた。いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、私の証人となります。



御霊が内に宿ることは
神からの賜物か、それとも

自分の努力によることか。
それは、罪の赦しを受けた者に
与えられる賜物であり、
それは神の約束の
成就を意味している

以前、祈っていて、何か聖霊のような炎を受けたことがあります。しかし、その炎は長くは続かず、じきに積もった罪の前に消え去りました。しかしながら、ここでは、罪のために容易に消えてしまうにせの御霊ではなく、真の福音からくる、永遠に内に宿る御霊についての真理を示したいと思います。今ここでお話しする御霊は、祈りによって受けられるようなものではなく、水と御霊の福音への信仰によってのみ得られるものです。

1. 御霊は、水と御霊の福音を信じてすべての罪を赦された新たに生まれた者の内に宿られます。聖徒の内に来られると、御霊は永遠にそこに宿られ、その人が福音を信じている限り決して離れることはありません。御霊は聖徒に確信をお与えになり、聖書の神のみこころを知りるよう導き、この世界につきものの誘惑や困難を乗り越えるよう力を与え、霊の果実を豊かに実らせるようになさるのです。神は御霊をお与えになって、聖徒の体に神殿としての栄光をお与えになります(使徒 2:38-39、ヨハネ 14:16、16:8-10、コリントI 3:16、6:19、 2:38-39、ガラテヤ 5:22-23)。

みなさんがこの本によって[1]御霊を内に宿すようにしたいと思います。よろしいですか、私のお伝えすることは、御霊が告げておられることなのです。今この時に、内に宿る御霊を人間が受けることを神は強く求めておいでです。この一冊の本をお読みになれば、内に御霊が宿ることについて知ることができます。この本では不十分であれば、私が先に著した本を二冊、お読みください。それをお読みになれば、神の前に完全な信仰をお受けになることでしょう。

大勢のキリスト教徒が、五旬節に聖霊がイエスの弟子たちの上に降りたのと同じように、御霊を受けようとしています。この方法を利用して大金を稼いだ人々がいます。そうした人々は、御霊が何か人間の努力によって得られるものであるかのように見せかけます。彼らは幻を見たり、奇跡を行なったり、イエスの声を聞いたり、異言で話したり、あるいは病を癒し、悪魔を払おうとします。しかしながら、そうした人々は心に罪があり、悪霊に支配されているのです(エペソ 2:1-2)。たった今も、人々は自分が悪霊に支配されていることを知らずに生きています。サタンが不思議や脅威のようなまやかしに過ぎないあらゆる手段を使って人々を誘惑し、欺くのは、そのためです。

イエスは弟子たちに、「エルサレムを離れないで、私から聞いた父の約束を待ちなさい」(使徒 1:4)とお命じになりました。使徒の働きに明かされている御霊を受けることは、「経験」や「献身」、「悔い改めの祈り」によるのではなく、御霊をお与えになろうという「神の約束を待つ」ことによるのです。

ここから学ぶべきことは、御霊が内に宿ることは、人間の懸命な祈りによっては起こらないということです。これは、父なる神とイエス・キリストが人類にくださった、水と御霊のすばらしい福音への完全な信仰によってのみ得ることのできる、神の賜物です。真に御霊が内に宿ることは、イエス・キリストがくださった福音への信仰によって起こります。神は、人間が御霊を内に宿すことができるよう、水と御霊の真理をくださいました(ヨハネI 3:3-5)。

「御霊の約束」という句は、何度も新約に出てきます。ペテロは五旬節に、聖霊のバプテスマについての説教の中で、すばらしい福音を信じて罪の赦しを受けた者に聖霊をお与えになるというのは神の約束であると述べています(使徒 2:38-39)。

聖霊を受けることは、罪の赦しを受けた者に与えられる賜物であり、それは神の約束が実行されたことを意味しています。新約の聖霊は、神と人間の間の妥協によって得られるものではなく、神の約束なさった賜物です。ですから、使徒の働きに明かされている聖霊の宿られることは、祈りによって得られるものではありません(使徒 8:19-20)。

聖霊は、イエスがくださった水と御霊の福音を信じる者にだけ来られるのです。イエスは、御霊が内に宿るように聖霊を遣わされると弟子たちに約束なさいました。「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」(使徒 1:5)そこで、弟子たちは神の約束が実現されるのを待ちました。

聖書の聖霊を受けた人々の信仰を見ると、それはその人たちの努力によるのではなく、神のみこころによって起こっていることがわかります。使徒の働きで弟子たちに聖霊が下られたのは、人間の努力や霊的精進の結果ではありません。

使徒の働きに記されているように、弟子たちに聖霊が来られることはじきに実現しました。イエスが「もう間もなく」とおっしゃったとおりでした。これは、原始教会時代の最初の恵みでした。聖書を読むと、神の約束は断食や祈り、自己犠牲によって起こるのではなく、イエスへの信仰によるものであることがわかります。イエスの昇天後、信者は罪の赦しと御霊とを同時に受けました。



聖霊はイエスの弟子たちの上に 突然天から下られた


「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。」(使徒 2:1)イエスの弟子たちは集まって、神の約束が実現され、聖霊が下られるのを待っていました。

そうして、とうとう聖霊が来られました。

「すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」(使徒 2:2-4)

聖霊は「突然、天から」来られました。ここで、「突然」という語は、これが人間の意思によって行なわれたものではないことを示しています。

さらに、「天から」という句は、聖霊がどこから来られたかを説明するとともに、御霊の宿られることは人間の努力によるという考えを否定してもいるのです。「天から」という句は、御霊は祈りによって受けられるとするのは欺瞞であることを示しています。

つまり、御霊が天から突然来られたということは、御霊が宿られることは、異言を話すことや自己犠牲といったこの世の手段によって起こるのではないということなのです。イエスの弟子たちは最初、すばらしい福音をあらゆる国の人々に広めるために外国語を話しました。これは、外国語を話すユダヤ人に、 御霊の助けによって、その人たちの言葉で福音を伝えるためでした。あらゆる国から来た人々は、弟子たちが、その多くはガリラヤの出身者なのに、自分と同じ言葉で話すのを聞きました。

「また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ」(使徒 2:3-4)た。よろしいですか、ここでは、聖霊が「ひとりひとりの上にとどまった」とあります。一つ所で聖霊を待っていた弟子たちは、すでに水と御霊によって新たに生まれる福音を信じていました。

今日のキリスト教徒の多くは、この段落のこの部分を誤解し、聖霊の降臨は祈っている際に風のような音を伴って起こるものと信じています。しかしながら、それは無知と混乱から御霊について誤解しているのです。聖霊は、人々の上に下られるときにそのような音を立てられるでしょうか。いいえ、そうはなさいません。

人々が耳で聞く音は、サタンが人々の魂を貪り食うときに立てる音なのです。サタンは人々を混乱に陥らせようとして聖霊のふりをして幻を見させ、声をまね、偽りの奇跡を行なうときに、そのような音を立てるのです。人々はそうしたものを聖霊が来られた証拠だと勘違いします。また、御霊が強い風のような「ビューッ」という音を立ててやって来られるものと考えます。彼らは悪魔に欺かれているのです。聖霊は、使徒の働きに記されているように、すばらしい福音への信仰によってのみ受けられるのです。



ペテロの信仰(ペテロI 3:21)は 御霊を受けられるほど すぐれたものだった


使徒の働き第 2 章の、最初の聖霊降臨日の出来事を描き出されることによって神は、御霊が来られたのはすでに水と御霊の福音を信じていたためであるということを強調なさっています。しかし、通常、聖霊降臨日は何らかの不可思議なしるしや大音響とともに天から聖霊が下られる日であるとみなされています。

今日の信仰復興集会で、熱狂的な祈りや断食・按手によって御霊を受けることができると信じられているのは、このためです。悪魔つき、気絶、数日間トランス状態になる、あるいは激しく震えるといった現象は、聖霊の働きではありません。

聖霊は理性的存在であられるのですから、人間の個性を無視なさいません。知性と感情と意思とを備えた人格神であられるのですから、聖霊が人間に対して尊大に振舞われることはありません。神は、人が水と御霊の福音のみことばを信じたとき、はじめて来られます。

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御霊にっいたすバてのこと.

ペテロは、預言者ヨエルの予言どおりに聖霊が弟子たちの上に来られたとあかししてます。これは、罪の赦しを受ける者の上に聖霊が下ろうという神の約束が実現されたのです。つまり、イエスは人類をその罪からお救いになるためにヨハネからバプテスマを受けられ、十字架につけられたのだと信じる者に御霊は与えられるのです。ペテロの説教は、ヨエルの予言とともに、イエスがバプテスマをお受けになった理由を人間が知り、信じなければならないことを示しています。これを知ることによって、キリスト教徒は御霊を受けることになるのです。

みなさんは、ペテロのあかししたすばらしい福音(ペテロI 3:21)を信じていますか? それとも、すばらしい福音とは無関係な、無益で迷信的な信仰をもっているのですか? 神のご計画とは関わりなく、自分の行ないによって聖霊を受けようとしているのですか? 神を信じ、罪を洗い流そうとして悔い改めの祈りをささげる人がいたとしても、水と御霊の福音を信じる以外には御霊を受ける道はないのです。

みなさんは、水と御霊の福音のことを何も知らないまま、まだ聖霊が来られるのを待っているのですか? 御霊が心に宿るようになるイエスのバプテスマと十字架上の血のほんとうの意味をご存じですか? よろしいですか、水と御霊の福音を信じてはじめて、御霊が内に宿るのです。水と御霊のすばらしい福音を信じる者にだけ、聖霊はほんとうに宿られるのです。人間が御霊を内に宿すことができるようにする水と御霊の福音の真理をくださったことを神に感謝いたします。

 

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