救済・聖霊・幕屋・ヨハネの黙示録についての聖書学習のための無料キリスト教図書

ホーム  |  サイトマップ  |  お問い合わせ   |  ヘルプ    
聖書学習 無料
キリスト教図書
無料
キリスト教電子ブック
団体概要
 



 重要な主題に関する Paul C. Jong 師による説教

 

人はほんとうに自身の努力で 御霊を得られるのか


<使徒 8:14-24>
"さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。二人は下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだ誰にも下っておられなかったからである。ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。使徒たちが手を置くと聖霊が与えられるのを見たシモンは、使徒たちのところに金を持って来て、「私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、この権威を私にも下さい。」と言った。ペテロは彼に向かって言った、「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。あなたは、このことについては何の関係もないし、それにあずかることもできません。あなたの心が神の前に正しくないからです。だから、この悪事を悔い改めて、主に祈りなさい。あるいは、心に抱いた思いが赦されるかもしれません。あなたはまだ苦い胆汁と不義のきずなの中にいることが、私にはよくわかっています。」シモンは答えて言った。「あなたがたの言われた事が何も私に起こらないように、私のために主に祈ってください。.'"



人は手を置くことによって
御霊を受けられるますか。

いいえ。水と御霊の福音を
 信じていなければなりません。



この部分をもとにして、「人は自身の努力によって御霊を受けることができる」かどうかということについてお話ししましょう。原始教会時代の使徒たちは、神から力を授けられ、さまざまな所へ遣わされました。使徒の働きには、超自然の出来事がいくつか記されていますが、その一つは、使徒が人々の頭に手を置いたときに聖霊が下ったことです。聖書には、イエスを信じていてもまだ御霊を受けていない人々の上に使徒たちが手を置くと、聖霊が下ったと記されています。

では、この人々はどうして手を置くことによって聖霊を受けたのでしょう。当時、神のみことばはまだ記されている途中で、完成されていませんでした。そこで神は、使徒たちが使命を果たすように特別な力をお与えになったのです。神は使徒たちと共にあられ、彼らを通して数多くの奇跡を行なわれました。これは、人々にイエス・キリストが神の御子で救い主であられることを信じさせるために、人の目に見えるような奇跡や不思議を神が行なわれた、特別な時期だったのです。神にも使徒にも、イエス・キリストが神であられ、神の御子、救い主であられることを証明するためには聖霊の働きを強烈に示すことが必要だったのです。原始教会の時代に聖霊が奇跡や不思議を行なわれなければ、イエスが救い主であられたことを誰ひとり信じなかったでしょう。

しかしながら、現在は、御霊を受けるために目に見える奇跡や不思議は必要ありません。聖書が完成されているためです。その代わり、御霊が宿ることは今は信仰にかかっています。つまり、真理の福音を信じることにかかっているのです。神は、神の前に信仰をもつ者に御霊をお与えくださいます。イエスがこの世に来られたことと、そのバプテスマと血とによって神のみことばが実現されたと信じる者にだけ、聖霊は下られるのです。

今日、多くの牧師は、目に見える奇跡が御霊の宿っているしるしであると教え、信じています。そして、そのように御霊を受けるように信者を指導しています。彼らは、異言を話すことが聖霊の来られたしるしであるというような誤ったことを教えて人々を欺きます。こうした牧師たちは、自分が優れた奇跡や不思議を行なう使徒であると考え、感情によって神を経験したいと思っている狂信者の心を引き付けます。

この狂信は全世界のキリスト教徒の間に広まり、その多くは、自分の信じるところに従って超自然的な方法で悪霊を受けます。今日でも、狂信の影響を受けた人々は、手を置くことによって他の人々が聖霊を受けるようにできると考えています。

しかしながら、シモンのような錯覚をしている彼らは、聖書に出ている魔術師のようなものです。彼らは自己満足と物質的欲望に酔っていますが、その行ないは、ただ人々の間に混乱をもたらしているだけです。こうした偽の教えは、神の前で聖霊を受ける正しい道を外れています。

今日でも、多くの偽預言者が、聖霊の働きをしているふりをしながら、誤った宗教行為によってサタンの働きを行なっています。真のキリスト教徒は、神のみことばを護持しなければなりません。神のみことばを知ることが御霊を受ける唯一の道なのです。いわゆるペンテコステ派は、聖霊を肉体的に体験することを重視していますが、ばかげた考えを捨て、神のみことばに戻って、確実に御霊を受けることへと導く真理を信じるべきです。

シモンは、当時のサマリヤで有名な魔術師でした。彼は、イエスの弟子たちが人々に聖霊が下るようにしているのを見て、金で聖霊を買おうとします。こうした信仰をもつ人々は、必ずサタンの奴隷となり、その働きに利用されるようになります。シモンは聖霊を受けたいと思ったのですが、その欲求は貪欲でしかありませんでした。こうした信仰は、真に聖霊を受けるような信仰ではないのです。

シモンは、ただ神の力を得たいという気持ちから金で聖霊を買おうとしました。そのために、神のしもべペテロから激しく責められます。シモンはイエスを信じたとされていますが、罪の赦しを受けて御霊を受けた人間ではありませんでした。つまり、彼は、神に世俗の物をささげることによって御霊を受けられるものと考えたのです。

彼は外見にはイエスを信じているように見えましたが、内心はイエスのみことばとは無関係でした。彼は物質的な欲望に満たされていました。ペテロはシモンの考えを知って、神の賜物である御霊を金などで買おうとしたことを非難しました。ペテロはシモンに、金と共に滅びるがよいと言います。

今日、悪霊にとりつかれた偽預言者は、奇跡や不思議はみな聖霊の働きであると思わせて、人々を欺こうとします。人々がそうした力を信じ、聖霊を受けようとして熱烈に祈るのをよく目にします。しかしながら、世俗的な欲望からささげられた祈りによっては、誰ひとり聖霊を受けることはできないのです。

みなさんの周りには、カリスマ派の人々がいませんか?そうした人々には気をつけなさい。彼らは狂信をもって人々に近づきます。自分は悪魔を払えるし、手を置いて人々が聖霊を受けるようにすることができると言います。しかしながら、彼らの力は聖霊のものではなく、悪霊のものなのです。手を置くことによって聖霊を受けたと主張する人々は、自分も他人も悪霊だけを受けるようにしてしまうのです。

水と御霊のみことばを信じる者にだけ、ほんとうに聖霊は来られるのです(ヨハネI 5:3-7)。水と御霊の福音は聖書に明確に記されているのですが、多くの人々は心に罪があるために、忘我・異言で話すこと・千里眼・悪魔払いといった、超自然的な力や経験によって神に届こうとしているのです。

偽預言者が、悪魔に発している迷信的なキリスト教をあんなにも多くの人々に信じさせることができているのは、このためです。

ペテロは、「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。あなたはこのことについては何の関係もないし、それにあずかることもできません。あなたの心が神の前に正しくないからです。あなたはまだ苦い胆汁と不義のきずなの中にいることが、私にはよくわかっています。あなたは悪魔の子ですと言ってシモンを非難しました。今の時代にシモンのような聖職者が数多くいることは、ほんとうに嘆かわしいことです。その多くはカリスマ派の人々です。彼らは改宗にお金を要求します。このような信仰からは身を遠ざけ、水と御霊の真の福音を信じて聖霊を受けるようにしなければなりません(マタイ 3:15、ペテロI 3:21、ヨハネ 1:29、ヨハネ 19:21-23)。



カリスマ派の人々は手を置くことによって働く

こうした信仰からは、遠ざかっていましょう。今日の人々の中には、力をもった人から手を置く儀式を受けることで聖霊を受けることができるというばかげたことを信じている人々がいます。彼らは、使徒たちから手を置く儀式を受けて多くの人々が御霊を受けたと聖書に記されているのだから、自分たちも同じことができると考えます。また、手を置く儀式を授けて人々に聖霊を受けさせることができるというばかげたことを信じている詐称者たちもいます。こうした人々がいることを心しておきましょう。

そうした人々の信仰は、原始教会の使徒たちの信仰からかけ離れたものなのです。今日、キリスト教徒の中のある人々の信仰にとって、水と御霊の真の福音への信仰のないことがもっとも深刻な問題になっています。彼らは神を信じていると言いますが、神を崇めず、自分と他人を欺きます。しかしながら、罪人はけっして内に御霊をもつことができませんし、他人がもつようにすることもできません。罪人に御霊が下ると言う人がいたなら、その霊は真の聖霊ではありません。それは、ただ真の御霊の振りをしているサタンなのです。

原始教会時代の使徒たちは、イエス・キリストがヨハネによるバプテスマと十字架上の死によって人類の罪をすべて取り除いてくださった救い主であることを知り、信じていました。彼らはイエスのバプテスマと十字架上の血とを信じていたために、御霊を受けることができました。彼らはまた、水と御霊の福音を他の人々に説き、その人たちが聖霊を受けるのを助けました。

しかし、今日、多くのキリスト教徒は誤った狂信的な信仰をもっています。罪人が別の聖職者から手を置く儀式を受けて聖霊を受けることが、ほんとうにできるものでしょうか。これは、まったくばかげたことです。心には罪があるけれど、聖霊を受けていると言う人々がいます。信奉者にはよき羊飼いのように見える人でも、心に罪があるのなら、他の人が聖霊を受けるようにすることはできません。

それなのに、多くの人々はこうした誤った信仰をもっています。実に多くのにせ預言者が人々を地獄へと導くことができるのは、このためです。よろしいですか、こうした信仰を教える人々は偽預言者なのです。こうした人々は、すでに悪魔の手の中にいます。

心に罪があるのなら、御霊はその人の内に宿ることができるでしょうか。答えはいいえ、です。では、心に罪のある人が、他人が御霊を受けるようにすることができるでしょうか。またも、答えはいいえ、です。では、キリスト教社会で今日のカリスマ派の人々が、心に罪がありながら奇跡を起こしているのは、何によるのでしょうか。悪霊がそうしているのです。聖霊はけっして罪人の内には宿られません。聖霊は水と御霊の福音への信仰をもつ者の内にだけ宿られます。みなさんのところに来た霊は、ほんとうに聖霊ですか?

ヨハネの福音書第 3 章 5 節で、イエスは「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません」とおっしゃっています。ですから、水と御霊の真の福音を信じてはじめて聖霊が下られるのです。今日の数多くのキリスト教徒の犯している過ちは、罪深い聖職者から手を置く儀式を授けられて聖霊を受けることができると信じていることです。これは、致命的な過ちです。今日、多くのキリスト教徒と聖職者は、手を置く儀式をすると聖霊が来られるのだと信じています。



罪の赦しと手を置くこととの関係

「手を置く」ということは、自分の内にある何かをその対象の上に移すということです。こう考えてごらんなさい。マイクに向かって話すと、音はケーブルを通ってアンプに伝わり、それからスピーカーから出て、大勢の人々に聞こえるようになります。同様に、旧約では、罪人が罪のためのささげものの頭に手を置くと、罪がその上に移り、その人は赦されました。同じように、神の力は神のしもべが手を置くことによって人々に伝えられます。こうして、手を置くということは「渡す、移す」という意味をもつようになったのです。

カリスマ派の人々は、手を置くことで人々が聖霊を受けるようにはせず、悪霊を受けるようにしています。よろしいですか、悪霊の力をもつ人は、手を置くことによってその霊を他の人々に移すのです。悪魔に憑かれた人が別の人の頭に両手を置くと、とりついた悪魔はその人に移ります。サタンは罪人を介して働くためです。ですから、聖霊を受けたいのなら、みな水と御霊の福音を信じなければなりません。たとえイエスを信じてはいても、罪の赦しを受けることができないのなら、サタンは、そうした罪にある者を支配します。

悪魔にとりつかれた人から手を置く儀式を授けられたなら、悪魔がその人に宿り、その人は偽物の奇跡を起こします。悪魔は手を置くことによって他人に移るということ、水と御霊の福音への信仰によってのみ御霊は内に宿るのだということを心しておきましょう。

手を置くことは、何かを別のものに移すために神が定められた方法です。しかし、サタンは、手を置く儀式によって大勢の人々が悪霊を受けるようにしています。今日、金で聖霊の力を買おうとする人々が大勢いるというのは、いっそう深刻な問題です。



たいていのキリスト教徒は聖霊の宿ることについて誤解している


どうしたら聖霊を受けることができるのかと尋ねられると、たいていは、悔い改めの祈りと断食とによって受けることができると答えます。これは誤りです。御霊は、神に特別な祈りをささげたときに下られるのでしょうか。いいえ。聖霊は、水と御霊の福音を信じる者にだけ下られるのです。

神は真理であられますから、御霊を内に受けるための掟を定められました。聖霊は、心に罪がある人の内に宿ることができるでしょうか。答えは、絶対にできません、です。人は、手を置くことによっては聖霊を受けることができません。信仰復興集会に参加し、聖霊の力を受けようと熱烈に神に祈ったとしても、聖霊を受けることはできません。明らかに、罪人は内に御霊を宿すことができないのです。罪人は、水と御霊の福音を信じて罪の赦しを受けてはじめて、真に聖霊を受けることができるのです。

水と御霊の福音を知らない人は、誰も御霊を内に宿すことができません。今日、水と御霊の福音は、キリスト教の文書や教会の集まり、インターネット、さらには電子図書によって全世界に急速に広まっています。ですから、真の福音を求める人は誰でも、信じて聖霊を内に宿すことができるのです。まだ聖霊を受けていないのなら、水と御霊の福音を信じて聖霊を受けるのです。




典型的な誤った信仰


今日、偽の霊を受ける人々の状態を見ると、悪魔が存在しているのがわかります。「聖霊の信仰復興集会」というのは、聖霊を受けようと必死な人々の集まりです。こうした集会で、人々は泣き、断食しながら手を叩き、悔い改めの祈りをささげます。牧師は、そうしなければ聖霊は来られないと言って、熱狂的な祈りをささげるよう指示します。すると、人々は、「主よ」と叫び、狂信的に祈り始めます。

こうした狂信者は、このような方法で御霊を受けることができるのでしょうか。いいえ。そうした集まりでは、おかしな声を出しながら人々が叫び、倒れ、それから震えるのを目にします。そこここで仰向けに倒れて地面で震えている人がおり、また、悲鳴を上げてから異言で話し出す人もいます。集会の間中、とてつもない声で叫び続けている人もいて、人々はすっかり感情に溺れています。痙攣を起こし、全身を震わせ、異言で話す人々がいます。人々は、こうした現象は聖霊がおいでになっている証拠なのだと言います。しかし、悪魔が働くときは何が起こるかを考えてみましょう。これは、聖霊の働きでしょうか。絶対に違います。




サタンは大勢のキリスト教徒を欺く


今日、多くのキリスト教徒はサタンが望むような信仰生活を送っています。サタンは、聖霊を受けるためには強力な聖職者から按手を受けなければならないと言って欺きます。大勢のキリスト教徒は、これを正規の教えだと信じがちです。サタンはまた、過剰な祈りをささげれば御霊を受けるという考えを人々の頭に植え付けます。サタンは、こうした信仰をもつ者を二倍にも三倍にも増やそうとしてきました。

このために、水と御霊の福音を知らず、学ぼうともしない人々が大勢いるのです。サタンが頭に植え付けようとする考えを退け、水と御霊の福音を知り、信じなければなりません。聖霊は、水と御霊の福音を信じる者にだけ来られるのです。これを信じなさい。




御霊が宿られることについて キリスト教徒の誤解


まず第一に、カリスマ派キリスト教を信奉する人々の多くは、はなはだしい誤解をしています。彼らは心に罪をもったまま聖霊を受けようとします。心には罪があるけれど、聖霊を受けることができると、誤り信じてます。しかしながら、水と御霊の福音を信じていない人は、完全に聖霊を受けることができません。

第二に、人間の傲慢さが御霊を受けることの妨げになるとされています。では、これは、傲慢な振る舞いをしなければ御霊を受けることができるということなのでしょうか。この世に、傲慢さが少しもない人間がいるのでしょうか。神に赦されることのない傲慢な人間とは、神のみことばに自身の考えを加える者です。多くの人は、水と御霊の真の福音を無視して、自分なりの方法で御霊を受けようとします。しかしながら、御霊は水と御霊の福音を信じる者にだけ宿られるのです。

第三に、神の前で自分の罪をすべて率直に告白する者の上に聖霊が下られるとされています。そこで、聖霊を受けたいのなら罪を告白するように促されます。しかし、御霊が内に宿ることは、ただ罪を告白することによっては得られないのです。現在の大方のキリスト教徒は、聖霊に満たされることをしきりに願いますが、まだ心に罪をもっているために、内に聖霊を受けることができません。こうした性急な欲求をもつ人は、悪魔に捕らえられます。

第四に、心から神の祝福を願えば御霊を受けることができると言う人々がいます。しかし、聖霊は乞い求めて得られるものではありません。これは誤った考えに過ぎません。

第五に、何らかの霊的力があることがすなわち御霊が宿っていることだとみなす人々がいます。異言で話すことは、一般に御霊の宿っている証拠とみなされています。しかし、聖霊は、その人がイエスの名によって悪魔を払ったり異言で話すからといって、人の心に宿られはしません。罪はサタンに属するものです。心に罪のある者がほんとうに何らかの変わった力があるからといって、御霊を受けているといえるでしょうか。これもまた、悪魔のごまかしなのです。

イエスがくださった水と御霊の福音が、人が御霊を受けることを可能にする唯一の真の福音なのです。いまだに他の方法で御霊と罪の赦しを受けることができると考えているのなら、その人はひどい勘違いをしています。みなさんが誤った考えから解放され、霊的考えと本物の信仰をもたれるとよいのですが。

現在、数多くのキリスト教徒が悪魔にとりつかれていると言っても過言ではありません。特別な信仰復興集会や手を置く儀式によって御霊を受けることを求めたために、世界中で大勢のキリスト教徒が、悪魔に支配されるようになっています。彼らは祈祷所の監督や執事長、リバイバル集会の説教者、聖霊の力を受けているとされている牧師といった、特定の人々のところに行きます。手を置く儀式によって聖霊を受けようとして行くのです。しかしながら、どんなに熱烈にイエスを信じていたとしても、そうした信仰によっては、誰ひとり御霊を内に宿すようにはなっていないのです。つまり、神以外には、聖霊を受けることを可能にする者は誰もいないのです。

シモン同様、今日の多くの人々が聖霊を買おうとします。彼らは、福音ではなくこの世の教えを信じて聖霊を受けようとします。世界中の大方のキリスト教徒は、こうした考えにとらわれています。聖霊は、受けるために必要な資格のある者にだけ来られるのです。聖霊を受ける唯一の方法は、水と御霊の福音を信じることであり、これが真実についての唯一の答えなのです(使徒 2:38)。

手を置かれて御霊を受けることは、原始教会時代のごく短い期間にだけ可能なことでした。それ以後は、人が水と御霊の福音を知り、信じると同時に、聖霊がその人の上に下られるのです。ですから、神のみことばへの信仰によって聖霊が働かれる以外はみな、悪魔のしわざなのです。神は、悪魔はサタンのしもべであり、サタンは人間がイエスを信じていても罪の赦しを受けることができないように狡猾に働くのだとおっしゃいます。サタンは、イエスを信じて按手を受ければ聖霊を受けるのだと言って人を欺きます。こうした欺瞞によってサタンは世界中でその支配を広めています。

こうした悪魔にとりつかれた場合の兆候をみてみましょう。第一に、占い師や呪術師が悪魔に憑かれている場合、ぶるぶると震え、神がかり状態になったり、時には失神さえします。それからろれつが回らなくなり、意思に反して奇妙な言葉が口から出ます。彼らはおかしな言葉を話します。

魔術師も、手を置かれて悪魔にとりつかれたキリスト教徒も、こうしたことを経験します。カリスマ派の信仰復興者がマイクを握って「火、火、火で」と叫ぶと、会衆は興奮して自制を失います。人々は前に来て、その人に手を置いてもらおうとします。抑えようもなく体が震え、異言を話します。こうした症状は、聖霊の働きを装った悪魔の仕業なのです。

あらゆる原始的な宗教の呪術師や占い師の呼び出すことのできる悪霊にとりつかれた人々は、手を置く儀式によって悪魔を受けたキリスト教徒と同じ症状を示します。しかしながら、人々は、こうした証拠にもかかわらず、誤解しています。そうしたキリスト教徒は、このような症状に陥ったときに聖霊を受けているものと考えて、道を誤るのです。




サタンは占い師のようなキリスト教徒を介して働く


サタンは、悪魔にとりつかれた人々が予言の祈りをするようにさせます。彼らは予言します。「あなたは優れた指導者になります。何千もの羊があなたの前で草を食みます。神は将来あなたを訓練して、優れた指導者になさいます。」 別の人には、「あなたは神の優れたしもべになるでしょう。神のとても立派なしもべになります」と言って惑わせ、自分に従って生涯悪魔のしもべとして生きるようにします。

占い師もまた、他人の未来について予言します。「あなたは将来、水に気をつけなさい。」「あなたはたくさんのお金を稼ぎます。」「尊い人が東からやって来てあなたを助けます。」彼らは、こうしたことを言うのです。悪魔にとりつかれた人が最初に示す症状は、偽の予言をすることです。

それから、自分でも理解できない異言で話します。彼らはぶるぶると震え、人格障害の症状を示しさえします。呪術師や占い師に会ったなら、その人たちがしっかりした人格の持ち主であると考えられるでしょうか。そうした人々は、しばしば自分よりもずっと年上の人々に無礼な口をききます。

しかしながら、ほんとうに御霊を内に宿している者は、イエスがバプテスマと十字架上の死とによってすべての罪をきよめてくださったという聖書に基づいた真理を信じて聖霊を受けているのです。こうした人々はまた、他の人々が水と御霊の福音を知り、信じるのを助け、罪の赦しを受けて御霊を内に宿すようにします。彼ら自身は正しい生き方をしようとし、またその人柄は感じがよく、しっかりしているので、他の人々を神への祝福された信仰と、神の望まれる生き方へと導けるのです。時折、彼らの心が世に戻ろうとすると、彼らを聖いままに保たれようと、神が非難なさいます。

罪の赦しを受けている義人は、悪い霊によって人格を破壊された人々とは、まったく違っています。罪の赦しを受けて内に御霊が宿るようになると、真の人格がよみがえります。また、義人は、神のみことばがほんとうに必要な、好ましくない状況にある他人のことを深く思いやるために、その人々が救われるよう祈り、実際、助けるために献身します。

それに対して、悪魔に憑かれた人々の人格は、ひどく損なわれています。その人たちは、震えたり異言で話したりすることは聖霊からの賜物であると考えているために、サタンは彼らを支配し、自分の意思に従わせます。しかしながら、そうした経験は絶対に聖霊の賜物ではありません。

世の中には、神の名において予言したり、多くの不思議を起こし、異言で話すといった力を誇っている聖職者が実に大勢います。しかし、もしまだ心に罪があるのなら、その力は悪魔にとりつかれている決定的な証拠なのです。ですから、他人が聖霊を受けることができるようにすることができず、ただ悪魔を与えることしかできません。また、サタンは欺くことに長けていますから、彼らの起こす奇跡は短時間のうちにあっさり尽きてしまいます。

聖霊の働きと悪魔の働きには、明確な違いがあります。聖霊の働きは、最初はこれといった体験やすばらしい贈り物もたらさないように見えても、やがては神の力が、昇る朝日のように絶えることなく義人の心の中で強まります。




悪魔にとりつかれたキリスト教徒


聖霊を受けようとしていながら
なぜあれほど
多くの人々が 悪魔に
とりつかれるのでしょう?

にせ預言者から手を
置く儀式を受けて悪魔を
受けるからです。


驚くべきことに、イエスの信者の多くの体と心が、にせ預言者から手を置かれて悪魔を受けたことによって破壊されています。その信仰が聖書のみことばに基づいていないのですから、そうした人々は神とは何の関係もありません。彼らは自分の行ないのために多くの人々がサタンのしもべとなっていることを知らず、力を使い尽くします。なぜ彼らはキリスト教社会で力を使うことにあんなにも熱心なのでしょう。それは、彼らのいわゆる「力」は、使わなければじきに消えてしまうためです。彼らが精力的に働くのは、このためです。

彼らはいつでも祈り、イエスの名において不思議やしるしを見せなければなりません。「私は福音を説く賜物を受けました」と言う人々は、福音を説き続けます。そうしなければ、偽の幸福はじきに消えるからです。悪魔に与えられた異言で話す力や癒し、予言の力に忠実でなければ、つまり、サタンの働きのために忠実でなければ、長患いをさせられるのです。占い師や呪術師がサタンのしもべとしての務めを怠れば、長く患うことになるのと同じことです。サタンから受けた物をせっせと使わなければならないのは、このためです。さもなければ、力を使い果たした後、惨めな状態で捨てられるのです。

かつて、熱烈なイエスの信者で、神から多くの力を与えられているように見えた人がいました。彼は聖霊を受けるように人々に勧め、信仰復興集会を開き、手を置いて悪魔を払い、また異言で話すことや癒しといった不思議を働きました。彼はその不思議のわざのために羨望と尊敬の的になりました。何万人もの信者が彼に従いました。しかしながら、彼はじきに、「イエスは失敗者です。あれは神の御子ではありません」と言って、イエスを否定し始めました。イエス・キリストを呪い、自分が神なのだと主張さえしました。彼はついに自分の心と数多くのキリスト教徒の心の内のイエス・キリストを殺したのです。

こうした人々はサタンに導かれているため、水と御霊の福音を拒みます。彼らは手を置くことで人々に外国語を話させ、悪魔を払うといった力を見て、自分には使徒と同じ力があるものと錯覚していますから、最初から誤ったことを信じるようになります。自分には御霊が与えられているのだと固く信じています。

悔い改めの祈りをささげれば聖霊を受けることができるのだと考えて、人々に聖霊を受ける方法を教えます。しかしながら、聖霊を受けるためのこの方法は、神のみことばに基づいてはいません。それなのに、イエスの信者が異言で話し、予言をしたならば、それは聖霊が来られている証拠なのだと言います。多くの人々は、聖霊が宿るということについてほんとうに理解していませんから、偽預言者の教えることを学び、従えば、自分たちもまた聖霊を受けることができると考えます。このようにして、サタンはキリスト教徒を悪魔の霊で満たし、支配するのです。こうした方法はみな、サタンの罠です。

無数の人々がにせ預言者の教えのために悪魔にとりつかれています。通常の信者は単調な信仰生活を送りますが、悪魔にとりつかれた人々は悪霊の力を使い、傍目には熱烈な信仰生活を送っているように見えます。彼らの示す力とは何でしょう。癒し、異言で話す力をもち、手を置くことによって他人が悪魔にとりつかれるようにします。よろしいですか、手を置くことは、何かを他人に移すことであり、悪魔の国はこの方法によって大いに拡大しているのです。



悪霊は人間の貪欲によって働く

サタンは、聖書にあるシモンのような人々の中で働きます。こうした人々は、水と御霊の福音への信仰とは関わりなく、手を置くことによって御霊を受けることができると言います。今日、多くの人々がサタンに欺かれ、悔い改めの祈り・断食・自己犠牲、手を置く儀式によって聖霊を受けようとします。しかしながら、そうした人々は悪魔にとりつかれ、呪われた生を生きるのです。

全世界で多くのキリスト教徒が受けている、このいわゆる按手という方法が悪魔の働きに役立っているということを心しておきましょう。シモンと同じ性向をもつ人々は、神の前に偽預言者です。イエスの信者であっても、心に罪があるのなら、悪魔にとりつかれることがあります。そうした人々は、悪魔の働きによって奇跡を起こすことができます。サタンは自分のしもべから手を置く儀式を受けるよう導き、悪魔にとりつかれるようにし、全世界に自分の領土を築きます。今日、[2]ペンテコステ・カリスマ運動は全世界で正規のキリスト教と認められています。

2. 西欧キリスト教は、二十世紀後半の物質的繁栄と大量消費の前に衰え始めた。同時に、この結果、イエスのそば近く歩む道を探っていた数多くのキリスト教徒は、それまでの教会の無味乾燥に不満をもっていた。また、霊的成長の欠如または遅々として進まないことに悩み、あるいは、信仰がイエスの個人的な愛につながらないことに挫折感を覚える者もいた。
こうした状況の中でペンテコステ・カリスマ運動が起こった。この運動に身を投じた人々は、最初の聖霊降誕を手本として熱烈な経験を求め、異言を話し、予言をし、奇跡や不思議を行なうことを実践する。彼らはその熱意から、いわゆる聖霊の支配に身を委ねるが、厳密にいって、その教えと実践のほとんどは聖書に基づいたものではない。
開発途上国では、この運動は人々の欲求とあいまって、急速に広まった。その指導者は、宗教的熱意と共に富と健康の恵みによって、開発途上国のキリスト教徒をひきつけている。新ペンテコステ派のような分派は、ニューエイジ運動と教えを同じくしているという報告もある。

この世界は、ゆっくりと終わりを迎えようとしています。終わりの日に新たに生まれたいのなら、悪魔がどのように働くかを知り、その計略に断固として立ち向かうのです。また、水と御霊の福音を信じてただ一度で罪から救われ、御霊を宿すという賜物を受けなければなりません。神の御霊がどのようにして来られるかを完全に知って真理に戻るのです。

神が「わたしの民は知識がないので滅ぼされる」(ホセア 4:6)とおっしゃったように、今日、真理を求める多くの人々は、無知からカリスマ派の人々に誤り導かれ、滅ぼされています。いわゆるペンテコステ・カリスマ派の教会が砂漠に建てられていたとしても、人々はそこに集まったろうと言われています。なぜでしょう? カリスマ派の人々は、偽物の能力によって人を惑わせ、手を置く儀式で悪魔にとりつかれるようにして、教会を大きくしているのです。彼らの特別な力には、ひとたび手を置く儀式によって悪魔にとりつかれると、敬虔に生きることに熱心になるということがあります。

カリスマ派の人々のもう一つの特徴は、教会に高額の寄付をし、無条件に狂信的な信者になることです。無数のキリスト教徒が悪魔の力によって熱心に福音伝道をしていますが、彼らは必ず、そうと知らずに地獄に行くのです。悪魔の力を救済の証拠と信じている、こうした人々は、一抹の疑いもなく天国を待ち望んでいます。しかしながら、心に罪があるので、滅ぼされる定めにあるのです。

「神を信じているのに、あなたの心には罪があるのですか」と尋ねられたなら、彼らは、人間が罪の中にあることは自然なことなのだと答えるはずです。イエスを信じていたとしても、人間が心に罪をもたないことはあり得ないと考えているのです。

人々は、にせの力という証拠を得てイエスを信じていることで安心し、心に罪がありながら、自分には天の御国に入る資格があると考えがちです。

これは、なんというばかげた望みでしょう。彼らが確信しているのは、何らかの超自然の力があるからです。異言を話したり、幻を見たり、病を癒したりといったことを経験し、こうした経験が聖霊の働きなのだと固く信じます。ですから、そうした経験によって確かに贖いと御霊とを受けたのだと自分に言い聞かせます。

こうした人々は、救済のみことばについて不完全な知識しかもっていませんから、なんらかの目に見える力がなければ救済に自信がもてません。ですから、救済の目に見えるしるしを見出そうと躍起になり、やがてはサタンの働きに利用されてしまうのです。こうした人々は、水と御霊の福音を信じることによってではなく、悔い改めの祈りや自己犠牲によって神の答えを見出そうとしますから、やがては聖霊ではなく悪霊を受けます。

悪魔は人々を責め、その耳に、「おまえは罪を犯したよな」とささやいて良心の呵責を覚えるように仕向けます。私の知り合いに、今は罪の赦しと御霊を受けている人がいます。その人が新たに生まれる前、熱心だけれどむこう見ずにイエスを信じていたころのことです。この人は異言で話し、多くの奇跡を起こしさえしました。一晩中泣いて悔い改めの祈りをささげましたが、イエスを信じているというのに、心の罪に苦しめられ続けました。そうした時にサタンがささやきだしたのです。「おまえは罪を犯したのだから、生きているよりは死んだほうがいい。」 サタンはしばしば彼を訪れ、責め苛み、罪のことを思い起こさせました。サタンは自責と自己批判へと導きました。しかしながら、彼にできたのは心の罪を告白することだけでした。すばらしい福音を聞いて信じるまでは、サタンの非難から自由になることができませんでした。

よろしいですか、水と御霊の福音を信じない者はサタンの犠牲になるのです。罪の赦しを受けていない人に悪魔を拒む力があると思いますか? 水と御霊の真の福音を信じていない人は、誰でもサタンに捕らえられ、苛まれます。神の水と御霊の福音はサタンを払うためにどうしても必要なのです。ですから、イエスを信じる者はみな水と御霊の福音を信じ、また、それを世の人々に広めなければならないのです。これを聞く人は従い、信じなさい。



不法の奥義はすでに世にある

全世界が今、悪魔の働きに覆われています。人々が聖霊を受けるよう導く福音を広めたいのなら、御霊の宿ることについての深い誤解を除かなければなりません。

まず第一に、手を置く儀式によって聖霊が下るというのは嘘だということをはっきりさせておきましょう。手を置く儀式の後で異言で話すとか、悔い改めや断食のときに何か熱いものを感じたとか、イエスから直接みことばを聞いたといった経験が悪魔の仕業であるということをはっきりあかしするのです。水と御霊の福音への信仰によってのみ、人は悪魔のたくらみから救われます。水と御霊の福音によって、信仰によってのみ、人は罪から救われます。

悪魔、「嘘の王」を水と御霊の福音によって打ち負かすのです。サタンは、全世界のすべての人を自責の縛めで捕らえています。ですから、聖徒は、誤った体験や感情がサタンの策略であることに気づかせ、そうした人々を真理に帰らせなければなりません。

今日、聖霊を金で買おうとしたサマリア人シモンのような人々が教会で働いています。盲人が盲人の手を引いているのです。彼らは、水と御霊の福音を知らず、心に罪があるために、完全な救済への道を示すことができません。そこで、終夜祈祷の集会を開き、悔い改めの祈りを呼びかけ、手を置く儀式を行なって、信者の心にサタンが宿るようにします。こうした人々は、実際は悪魔にとりつかれています。彼らを神のみことばに還らせたいのなら、水と御霊について完全な知識を与えてサタンの働きを破壊しなければなりません。サタンの策略について知らなければ、無力に苦しむしかありません。

先に申しましたように、手を置く儀式を受けた後で、異言で話すとか予言をするとかといった奇跡を行なうことは、みな悪魔のしわざなのです。つまり、カリスマ派の人々の力は、悪魔の働きによって現われているのです。そうした人々に教えなければなりません。「心に罪があるのなら、内で働いているのは悪魔なのですよ。心に罪があるのに御霊が宿っていると思うのなら、だまされているのです。」

使徒と、使徒の働き第 8 章で手を置く儀式を受けた人々の信仰は、いずれもイエス・キリストの水と御霊の福音を知っていたのですから、同じ範疇に入ります。しかし、使徒の信仰は、ただ手を置くことによって聖霊を受けることができるのだと信じている今日の大方のキリスト教徒のそれとは完全に別物です。

御霊についてもっと詳しくお知りになりたいですか? 御霊ついての無料図書をお受け取りになるには、下のバナーをクリックしてください。
御霊にっいたすバてのこと.

罪の赦しを受けている人から手を置く儀式を受けたなら、人は聖霊を受けるのですか? いいえ。聖書は、神の霊は水面の上を漂っていたとしています(創世記 1:2)。これは、人が罪の赦しと御霊とを受けるためには、水と御霊の福音を聞き、信じなければならないということを意味しています。神は、水と御霊の福音を信じる新たに生まれたキリスト教徒への賜物として聖霊を遣わされます。

よろしいですか、御霊を受けるには手を置く儀式を受けなさいと人々に教えるとしたら、それは、神がそれによって人類を罪からお救いになろうとなさっている水と御霊の福音に敵対するようなものです。人が誰かに聖霊を与えることができると考えることは、神に敵対しているようなものです。こうした信仰をもつ人は、容易にサタンの罠にはまります。このようなことが起こるのを許してはなりません。

水と御霊の福音を信じて罪はすべて赦されました。そして、御霊がそれをあかしなさいます。水と御霊の福音を信じる者なら、もはや心に罪はありません。これは、その人が罪を犯さないということではなく、水と御霊の福音を信じているためです。水と御霊の福音は、その人の心には罪がないとあかしし、御霊もまたそれをあかしします。人は、御霊を内にもつことなしにイエスを救い主と呼ぶことはできません。

悪魔に憑かれた人々は、水と御霊の福音のことを知らず、それについて話すこともけっしてありません。彼らは水と御霊の福音を知りもしないばかりか、真理を見極めることもできません。彼らは手を置く儀式を行なってはじめて聖霊が来られると言います。しかしながら、聖霊は手を置く儀式によっては、けっして来られません。よろしいですか、全世界の教会で、その誤った教えによって、悪魔が人々に大きな影響を与えているのです。ですから、水と御霊の福音を信じて真に聖霊を受けることが必要なのです。

 

リストに戻る

 


印刷用画面   |  

 
Bible studies
    説教
    信仰声明
    福音とは
    聖書用語
    キリスト教に関するFAQ

   
Copyright © 2001 - 2019 The New Life Mission. ALL RIGHTS reserved.