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 重要な主題に関する Paul C. Jong 師による説教

 

信じたとき御霊を受けましたか (イエスと三位一体)

<使徒 19:1-3>

アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、「ヨハネのバプテスマです。」と答えた。

 

聖書にはなぜ
「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、
天の御国は激しく攻められています。
そして、激しく攻める者たちがそれを
奪い取っています」と
あるのでしょう。

イエスがヨハネから授けられた
バプテスマと十字架上の血とによって罪を
すべて消してくださったという
すばらしい福音への信仰によって天の
御国を受けることができるから。

 

 パウロは、どのような福音を説いたのでしょう? 彼は、イエスのバプテスマと血の福音を説きました。使徒の働き第 19 章 1 節には、「アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、『信じたとき、聖霊を受けましたか。』と尋ねました」とあります。ところが、この人々はイエスのバプテスマの意味をとり残したままイエスを信じていました。彼らは御霊を宿すことにつながるすばらしい福音を知らなかったのです。パウロの「信じたとき、聖霊を受けましたか」という問いがエペソの弟子たちには耳新しいものであったのは、そのためです。他の人なら、「イエスを信じていますか」と尋ねたことでしょう。しかし、パウロは、人々がすばらしい福音への信仰を新たにして聖霊を受けるようにするために、このような異例の質問をしたのです。パウロの働きは、イエスのバプテスマと血とのすばらしい福音を宣べ広めることでした。パウロとペテロ、ヨハネはまた、イエスがバプテスマのヨハネからお受けになったバプテスマをあかししました。

バプテスマの福音について、使徒たちのあかしを見てみましょう。まず、パウロは、次のようにあかししました。「絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか」(ローマ 6:23)、「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」(ガラテヤ 3:27)

使徒ペテロもまた、ペテロの手紙第一第 3 章 21 節で、「そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます」と、イエスのバプテスマの福音をあかししました。

使徒ヨハネは、ヨハネの手紙第一第 5 章 5‐8 節で、「世に勝つ者とは誰でしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。あかしするものが三つあります。御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです」とあかししました。

バプテスマのヨハネは、すばらしい福音成就のために重要な役割を果たしました。聖書は、マラキ書第 3 章 1-3 節とマタイの福音書第 11 章 10-11 節で、バプテスマのヨハネについて次のように述べています。バプテスマのヨハネは、人類の代表であり、また、旧約に記されている、やがて来ると予言されたエリヤでした。旧約では、罪のためのささげ物が、手を置く儀式によって人間の罪をその身に負わされてから殺され、血を取られました。しかしながら、新約では、イエスが罪のためのいけにえとしてバプテスマによって世の罪を取り除かれ、罪の贖いとして十字架上で死なれました。イエスが人類をお救いになったのは、バプテスマのヨハネがヨルダン川でのバプテスマで世の罪をすべてイエスの上に移したためです。

神は、人類をその罪からお救いになるために二つのすばらしいみわざをご計画になり、いずれも実現なさいました。第一は、イエスが処女マリヤの体からこの世に来られ、世の罪を取り除くためにバプテスマをお受けになり、十字架につけられるようになさることでした。第二は、バプテスマのヨハネがエリザベツから生まれるようになさることでした。神は人類を罪からお救いになるために、二つのことが起こるようになさいました。これは、三位一体の神がご計画になったことです。神は、人類をその罪の裁きから解放なさるために、イエスより六か月前にバプテスマのヨハネをこの世に遣わされ、それから人類の救い主イエス・キリストをこの世に遣わされました。

マタイの福音書第 11 章 9 節でイエスは、バプテスマのヨハネについてあかしなさいました。「でなかったら、なぜ行ったのですか。預言者を見るためですか。そのとおり。だが、わたしが言いましょう。預言者よりもすぐれた者をです。」 また、イエスに世の罪をすべてお渡ししたバプテスマのヨハネは、翌日イエスを見て、あかししました。「見よ。世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネ 1:29)

聖書には、イエスにバプテスマを授けたヨハネについて多くの記述があります。この人物についてよく知るようにしましょう。バプテスマのヨハネは、イエスより先にこの世に来ました。イエスの役目は、神のご計画であったすばらしい福音を成就なさることでした。聖書は、イエスがヨハネから世の罪をすべて受け取られた、また、ヨハネが神のみこころを実現するために罪を移したのだとしています。

バプテスマのヨハネと呼ばれるのは、イエスにバプテスマを授けたためです。ヨハネによるイエスのバプテスマには、どのような意味があるのでしょう? 「バプテスマ」という語は、「洗われる」ということを意味します。世の罪はすべてバプテスマによってイエスに移されたので、洗い流されたのです。イエスのバプテスマには、旧約で罪のためのいけにえが受けた「手を置くこと」と同じ意味がありました。バプテスマの霊的意味は、「渡す」、「洗われる」、「埋められる」ということです。ヨハネによるイエスのバプテスマは、世のすべての人の罪を取り除く、贖いの行為でした。

イエスのバプテスマには、旧約で罪のためのいけにえに罪を移す方法であった手を置くことと同じ意味があります。つまり、イスラエル人は、贖いの日に大祭司の行なった按手礼によって、罪のためのいけにえの上に一年分の罪を移したのです。旧約のいけにえは、イエスのバプテスマと十字架上の死と同じ働きをしました。

神は、贖いの日をイスラエル人の罪を取り除く日と定められました。第七の月の十日、大祭司は人々の罪を贖うために罪のためのいけにえの頭に両手を置き、人々の一年の罪を移しました。これが神の定められたいけにえの制度でした。これが罪のためのいけにえの上に人々の罪を移す唯一の方法であり、手を置くことで罪を移すことが、神の定められた永遠の律法であったのです。

「アロンは生きているやぎの頭に両手を置き、イスラエル人のすべての咎と、すべてのそむきを、どんな罪であっても、これを全部それの上に告白し、これらをそのやぎの頭の上に置き、係りの者の手でこれを荒野に放つ。そのやぎは、彼らのすべての咎をその上に負って、不毛の地へ行く。彼はそのやぎを荒野に放つ。」(レビ記16:21-22)

旧約では、罪人は赦しを受けるために罪のためのいけにえの頭に両手を置き、その上に罪を移しました。そして、贖いの日には大祭司アロンがイスラエル人全員の代表として、いけにえの頭に両手を置いてイスラエル人の罪を移しました。罪を負った後、いけにえは殺されました。

これは、新約でイエスがヨハネからお受けになったバプテスマ──ギリシャ語でバプテスマにあたる語には、「洗われる、埋められる、渡す」という意味があった──と同じ霊的意味がありました。旧約の大祭司がイスラエル人の罪を移すために罪のためのいけにえの上に手を置いたように、バプテスマのヨハネによるバプテスマによって、イエスの上に人類の罪がすべて移されました。イエスはそれから人類の罪を贖われるため、十字架上で死なれました。これが、すばらしい福音の真理です。

大祭司アロンがイスラエル人に代わって贖いのいけにえをささげたように、アロンの子孫の一人、バプテスマのヨハネが人類の代表としてイエスにバプテスマを授ける役目を果たし、そうして人類の罪をすべてイエスの上に移したのです。神は、このようなすばらしい愛のご計画を聖書の詩篇第 50 章 4-5 節で次のように説明しておられます。「神はご自分の民をさばくため、上なる天と、地とを呼び寄せられる。わたしの聖徒たちをわたしのところに集めよ。いけにえにより、わたしの契約を結んだ者たちを。」アーメン、ハレルヤ。

教会史は、原始教会の最初の二世紀の間、クリスマスというものはなかったとしています。イエスの使徒たちと原始教会のキリスト教徒たちは、ただ一月六日をヨルダン川でバプテスマのヨハネが授けた「イエスのバプテスマの日」を祝っていました。なぜ彼らはその信仰でイエスのバプテスマをそれほど重視していたのでしょう? その答えこそは、使徒の伝えたキリスト教の鍵なのです。しかし、信者の水のバプテスマとイエスのバプテスマとを混同しないようにしてください。

今日行なわれている信者のバプテスマには、イエスがヨハネからお受けになったバプテスマとはまったく別の意味があるのです。ですから、御霊を受けたいのなら、イエスの弟子たちと同じ信仰をもつのです。人はみな、イエス・キリストがヨハネからお受けになったバプテスマと十字架上の血とを信じて、御霊を受けなければなりません。

原始教会がバプテスマを極めて重要な儀式だと考えたとしたら、それは、イエスのバプテスマへを枢要とする信仰のためであり、現代人もまた、イエスがヨハネからお受けになったバプテスマを救済のためになくてはならないものとみなすべきなのです。さらに、イエスはヨハネからバプテスマをお受けになっていたからこそ十字架につけられたのだという完全な知識に基づいた正しい信仰に至り、守るのです。よろしいですか、イエスがバプテスマをお受けになり、十字架上で死なれ、よみがえられ、救い主となられたと信じたときに、聖霊は人の内に宿られるのです。すばらしい福音では、イエスがヨハネからお受けになったバプテスマと十字架上の血とにこうした特別の意味があるのです。

聖霊を受ける絶対確かな方法は、イエスのバプテスマと血とのすばらしい福音を信じることです。イエスのバプテスマは、人類の罪全部をただ一度できよめました。それは、人間が御霊を受けることを可能にした贖いのバプテスマでした。イエスのバプテスマの力を知らない人々は、単なる儀式とだけ理解しています。

イエスのバプテスマは、イエスが世の罪を取り除かれ、罪の裁きを受けられて十字架上で血を流されたことを告げているすばらしい福音の一部をなします。このすばらしい福音の言葉を信じる者は誰でも、主のものである教会の一員となり、聖霊の恵みを受けるのです。聖霊は、罪を赦された者への神からの賜物です。

バプテスマによって、イエスは「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ 1:29)となられました。ヨハネの福音書第 1 章 6-7 節には、「神から遣わされたヨハネという人が現われた。この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである」とあります。イエスを人類の罪をすべて取り除いた救い主と信じるためには、ヨハネの働きとあかしとを聖書に記されているとおりに知らなければなりません。そうすると、イエス・キリストを救い主と信じることができるのです。御霊を受けるには、あかしに力を受けた強い信仰もまた必要です。ですから、すばらしい真理の福音を完成するためには、イエスがヨハネからお受けになったバプテスマと十字架上の血とを信じていなければならないのです。

マタイの福音書第 11 章 12 節には、「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています」と記されています。この部分は、聖書で最も難解な部分の一つとされています。しかしながら、「バプテスマのヨハネの日以来」という部分に注意しましょう。ここは、ヨハネの働きがイエスの救済のみわざと直接的に関わりがあることを告げているのです。

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御霊にっいたすバてのこと.

イエスは、人間が激しく攻める者のように大胆に御国に入ることをお望みなのです。人間は毎日罪を犯します。人間は弱い存在です。しかし、邪悪さをもつ存在であっても、堂々とした信仰をもって御国に入ることを主はお許しになります。ですから、この部分は、イエスがヨハネからお受けになったバプテスマと十字架上の血とによって世の罪をすべて消し去ったとしているすばらしい福音への信仰によって天の御国を得ることができるということを意味しているのです。つまり、これは、天国はイエスのバプテスマと血の、このすばらしい福音への堂々とした信仰によって得られるということなのです。

イエスのバプテスマは人類の罪をすべて取り除きました。それを信じるならば、必ず御霊を受けることをができるのです。聖徒は、隣人たちや親類、知り合い、世界のすべての人々に福音を宣べ広めなければなりません。世の罪はバプテスマによってイエスの上に移されたとしている、すばらしい福音への信仰をもちましょう。信仰によって、贖いと御霊を受けるという喜びを得ることができるのです。

イエスのバプテスマはすべての罪を取り除き、流された血は罪の裁きでした。無信仰な人々に水と御霊のすばらしい福音を説明しましょう。そうすることによってのみ、人々は福音を信じ、御霊を受けるようになるのです。どうぞ、信じてください。イエスがヨハネからお受けになったバプテスマと十字架上の血への信仰をもってはじめて、人はすべての罪を赦され、聖霊を受けることができるのです。

水と御霊のすばらしい福音を信じることによって、誰でも内に御霊を宿して主の子供、聖徒の兄弟姉妹になることができます。パウロと同じ、すばらしい福音への信仰をもちましょう。このすばらしい福音をくださったことを主に感謝し、たたえます。アーメン。

 

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