救済・聖霊・幕屋・ヨハネの黙示録についての聖書学習のための無料キリスト教図書

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 重要な主題に関する Paul C. Jong 師による説教

 

至聖所に入れる人々


< 出エジプト記 26:31-33>
  青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で垂れ幕を作る。これに巧みな細工でケルビムを織り出さなければならない。これを、四つの銀の台座の上に据えられ、その鉤が金でできている、金をかぶせたアカシヤ材の四本の柱につける。その垂れ幕を留め金の下に掛け、その垂れ幕の内側に、あかしの箱を運び入れる。その垂れ幕は、あなた方のために聖所と至聖所との仕切りとなる。

 

幕屋の素材

幕屋は、四種類の覆いで覆われた小さな折畳式の建物でした。これには種々の材料が用いられました。たとえば、壁はアカシヤ材の板四十八枚からなっていました。板はそれぞれ高さ 4.5 メートル (10 キュビト)、幅は 67.5 センチ (1.5 キュビト) ありました。板はどれも金がかぶせてありました。

幕屋の覆いは、次の材料でできていました。第一の覆いは青色・紫色・緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布の幕、第二の覆いは山羊の毛、第三の覆いは赤くなめした雄羊の皮、第四はジュゴンの皮でできていました。

既に見たように、幕屋の入り口はどれも青色・紫色・緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布でできていました。

至聖所の入り口に用いられた糸の色は、人々を罪から救ったイエス・キリストのみわざを表わしています。四つの色は、イエス・キリストが罪の赦しという賜物をお与えくださるという真理の光なので、信者はそれらに心からの感謝をささげるのです。


聖所と至聖所の入り口の素材

幕屋と至聖所の入り口の素材は、青色・紫色・緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布でした。幕屋の入り口はどれも、これらの素材で作られていました。人間は聖所に通じる幕屋の入り口を通った後、至聖所の入り口の垂れ幕の前に来ます。至聖所の入り口は、青色・紫色・緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布によって表わされた四つのみわざによって主が人類の罪を贖われたことを示しています。

聖所と至聖所に用いられた青色・紫色・緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布は、救世主がこの世に来られてバプテスマをお受けになり、血を流され、それによって救済のみわざを成就なさることを明かす影です。その中で、青い糸は、イエスが受けられるバプテスマを表す影、緋の糸は、イエスが被られた世の罪のためにささげられたいけにえの影です。人類の罪を洗い流されるために、主はバプテスマをお受けになり、罪の罰を受けられたのです。これが、幕屋の入り口の垂れ幕の示唆していることなのです。


幕屋の床

幕屋はただの砂の地面の上に建てられました。ここで「地面」は人々の心を指しています。幕屋の床が砂地であったこともまた、人類の心から罪を消し去るためにイエスが人間の肉の形でおいでになったことを告げているのです。イエスは人類の弱さのすべてを体験なさり、授けられたバプテスマと十字架上で流された尊い血とによって人類の罪をすべて洗い流されたのです。主は、この世界にまばゆい真理の光を照らして人類の根本的な罪の問題を解決なさるために、この世に来られました。イエスは全宇宙とその中のすべてを造られた創造神であられ、また、人類をすべての呪いと罪とからお救いになるためにこの世に来られた救済の光なのです。


至聖所の柱

至聖所の柱はアカシヤ材で、四本ありました。聖書では、「四」という数は苦しみを表わします。至聖所の柱は、青色・紫色・緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布に表わされた救済の輝く光を信じなければ、救われることができないことを示しています。つまり、それらは、神ご自身が苦しまれることによって成就なさった水と御霊の福音を信じることによって、まばゆい救済の光を見出すことができるということを表しているのです。

至聖所に入って神の前に立とうとする者は誰でも、神が用意なさった救済、輝く水と御霊の福音を信じなければなりません。しかし、神の用意なさった福音を信じないで神のもとへ来た者は、激しい怒りに臨むのです。神の前に立つ者は、青色・紫色・緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布とで表わされたまばゆい真理を信じていなければなりません。人はみな、真理のまばゆい光によって、神の住まわれる至聖所に入らなければならないのです。

旧約に明かされた罪の赦しの福音は、青色・紫色・緋色の撚り糸の体現した救済の真理です。新約に明かされた罪の赦しの福音自体は、イエスがお受けになったバプテスマ、十字架上の血、それに、よみがえりによって成就されました。最も聖なる福音を信じる信仰をもってはじめて、人は至聖所に入ることができるのです。


青色・紫色・緋色の撚り糸の体現した救済を 信じよ

ヘブル人への手紙 第 11 章 6 節には、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです」とあります。神は永遠に生きられます。神は人類に永遠のいのちをお与えくださるために、この世に人間の肉の形でおいでになり、バプテスマを授けられて十字架につけられ、死なれ、死者の中からよみがえられ、それによって救い主となられたイエス・キリストへの信仰によって罪の赦しを受ける恵みをくださいました。身代わりとなって人類の罪の裁きをお受けになって人間の古い自己の罪をすべて洗い流され、水と御霊の福音を信じる信仰を魂にくださって、主は絶対的に完全なきよさをまとわせてくださいました。

人類に新たないのちをまとわせることによって、主は人間が神の前に行って祈ることができるようにしてくださいました。さらに、神の前に立ち、神を父と呼ぶことのできる恵みをもくださいました。こうしたことはみな、主がくださった救済とともに与えられた神からの贈り物なのです。青色・紫色・緋色の撚り糸の真理によるこの救済をもたらされるて神は、人類が救われて神の前に立つことのできるようにする信仰をもつようになさいました。

もし明日死ぬとしたら、天国に行く自信がありますか? ここで、ちょっと将来について考えてみましょう。人が死ぬと、みな神の裁きの座の前に立ちます。このことは、この世で犯す罪の問題を解決しなければならないことを意味してます。では、この問題はどうしたら解決できるのでしょう? 盲目的にイエスを救い主と信じているだけなら、それは単なる宗教を信じていることになりませんか?

かつては私も水と御霊の福音のことを知らず、十字架上の血だけを盲目的に信じて自分の罪の問題を解決しようとしていました。当時、イエスは私のような人間のために十字架につけられて死なれたのであり、罪の問題をすっかり解決なさったのだと、頑なに信じていました。しかし、この信仰によっては、毎日犯す罪の問題を解決することができませんでした。しかも、霊的に完全に新たに生まれることができたのは、青色・紫色・緋色の撚り糸の体現した救済を信じることによってだったのです。

人間の罪はすべて、盲目的にイエスを救い主として信じて消されるものでしょうか? 聖なる神の前に行くことを可能にする信仰は、盲目的に信じることの中にはありません。それは、真理を知り信じることの中にあるのです。どんなに熱心にイエスを救い主であると信じていようと、青色・紫色・緋色の撚り糸によって罪人を救った真理の福音を知らなければ、人は聖なる神にお会いすることができません。水と御霊の福音を信じる信仰をもってはじめて、人は聖なる神にお会いできるのです。では、どのような信仰が、人が神の前に立って救われることを可能にする真理をなすのでしょうか? そのような信仰をもつことを可能にする福音とは、何でしょう? この福音とは、輝かしい水と御霊の福音です。

主はこの地上に来られ、ヨハネからバプテスマをお受けになって世の罪を被られ、十字架につけられて血を流され、三日後に死者の中からよみがえられ、それによって、信じる者のための救済を成就なさったのです。魂が罪をきよめたいのなら、イエスがヨハネから授けられたバプテスマ (マタイ 3:15) と十字架上の血 (ヨハネ 19:30) を信じたときはじめて、まばゆい真理の領域に入ることができるのです。輝かしい水と御霊の福音によって来られたイエス・キリストを救い主と信じなければ、白い雪のようなきよい心をもつことはできません。

時には肉の弱さを見て、それを嘆きます。しかし、それでも、水と御霊の福音のおかげで神に感謝するようになります。主がバプテスマと血とによって人類の罪を消し去ってくださったためです。他のどの方法によっても、人は聖くなることができないのですが、水と御霊の福音を信じることによって、聖徒は聖くなったのです。主は、完全に罪から救ってくださいました。青色・紫色・緋色の撚り糸の福音を信じることによって、人類をすべての罪から救ったまばゆい真理の光を見出すことができるのです。水と御霊の福音によって、主は人類を完全で聖い者になさいました。

マタイの福音書第 19 章 24 節で主は、「金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」とおっしゃっています。霊的に豊かな者は救われません。その人たちは、水と御霊の福音を信じることによって罪の赦しを受けることができると信じないためです。霊的にほんとうに貧しく、天国に入りたいと願い、神の助けを求め、自分なりの義を捨てて神の義を完全に信じる者だけが、水と御霊の福音を信じて永遠のいのちを受けることができるのです。水と御霊の福音は、人間が至聖の神にお会いできるようにまばゆい救済の光を放っています。自力では、人間はけっして聖くなることができません。しかし、主がお与えくださった水と御霊の福音を信じると、実際に聖くなり、まばゆい真理の領域に入ることができるのです。


宗教的・教義的な信仰を捨てよ

ヨハネの福音書 第 3 章 3 節で、イエスご自身が、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」とおっしゃいました。これに対して、ニコデモは尋ねました。「人は老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」(ヨハネ 3:4)

新たに生まれていない者には、ただ信仰によって新たに生まれることは不可能に思われます。時に、イエスの弟子までもみことばを理解せず、疑いさえしました。そこで、主は弟子たちに、「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます」(マタイ 19:26) とおっしゃっています。もちろん、人が宗教的信仰によって神の御国に入ることは不可能です。しかし、水と御霊の福音を信じることで御国に入ることができるのです。人間は自力では聖くなることができませんが、主がこの世に来られ、バプテスマによって世の罪を負われ、十字架につけられ、死者の中からよみがえられ、それによって人類の罪を永遠に消し去った救済のまばゆい光を放たれているのだと信じる者は、神が天国に入れるようになさっているのです。

幕屋の素材として用いられた青色・紫色・緋色の撚り糸の体現した真理は、イエスが新約で成就なさった水と御霊の福音と密接に関わっています。つまり、水と御霊の福音は、青色・紫色・緋色の撚り糸によって表わされた真理と同じなのです。青色・紫色・緋色の撚り糸は実際の救済の影であり、水と御霊の福音が、この影の実体なのです。

ですから、人は水と御霊の福音によってまばゆい救済の真理を見出し、そこで安らぐことができるのです。輝く水と御霊の福音には、乳離れした子が遊んでいるような、憩っているような、母の腕の中で穏やかに眠っているような、安らぎがあります。福音に至聖の光を見出すことによって、聖徒は至聖の神にお会いすることができているのです。輝く水と御霊の福音を信じることによって、神がお与えくださった救済を見出すことができるのです。神がお与えくださったこの救済を信じる者だけが、永遠の安らぎを得ることができます。

つまり、このうえなく聖い水と御霊の福音を信じることが、至聖所に入ることを可能にする唯一の信仰なのです。このまばゆい水と御霊の福音を信じる信仰によって、人は罪の赦しを我が物とすることができます。主はこの地上に来られ、バプテスマと十字架によって、福音の真理で人類の罪をただ一度で消し去られました。主は青色・紫色・緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布とでなさったお約束を全うなさいました。イエスが救い主であるということと、水と御霊の福音とを信じる者だけが、永遠のいのちを受けて天国に入ることができます。

水と御霊の真の福音が三十年前から説かれていたなら、世界中を席巻していたことでしょう。しかし、この真理が終わりの時に広められるのは、神の摂理です。主は黙示録で、終わりの時には無数の人々が罪から救われるだろうとおっしゃいました。主はまた、数多くの殉教者が出、大艱難の間に多数の人が主を信じて殉教を受け入れ、信仰を表明するであろうともおっしゃいました。つまり、主は終わりの時を数多くの魂を取り入れる時と定めておいでなのです。神のご計画は、この真の福音の真理を心から信じる者だけがすべての罪からの救済という賜物を受けるようにするというものです。

みなさんは、実に幸運にも、今の時代に水と御霊の福音を聞くことができ、すべての罪から救われています。水と御霊の福音をくださったことを心から神に感謝いたします。水と御霊の福音を聞いていなければ、私たちはみな、どうなっていたでしょう。実際のところ、今でもまだすべての人が水と御霊の福音を受け入れてはいません。この真理は誰の心にでも入るというものではありません。

実際、世界中に数多くのキリスト教徒がいますが、その多くは水と御霊の福音を知りも信じもしていません。では、どうしたらこうした、真の福音を知らない人々が罪から救われるのでしょう? 神が、私たちがキリスト教図書によって真の福音を広められるようになさったのは、このためなのです。

私たちが配布している福音書を読んではじめて水と御霊の福音を知ったという人々が、世界中に大勢います。その人たちはみな、水と御霊の福音を知る前は十字架上の血しか知りませんでした。しかし、今は水と御霊の福音を明確に理解でき、信じることができたことを主に感謝しているのです。また、イエスがヨハネからバプテスマを授けられたことの中にこのような重要な意味が秘められていたことを知らなかったとあかしする人々が大勢います。その人たちは、この福音を信じており、そのことで、たとえようもなく神に感謝しています。

水と御霊の福音のように、幕屋の庭の門もまた青色・紫色・緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布とでできています。この四つの色は、水と御霊の福音と同じです。ここでも同様に、輝く水と御霊の福音は、聖所と至聖所の垂れ幕に体現されているのです。さらに、幕屋の第一の覆いもまた同じ四色、青色・紫色・緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布とで織られていました。このことは、イエスのバプテスマと血とを示しています。イエスが、ご自分が天の御国への道であると告げられたのは、このためです。イエスはこの世に来られて水と御霊の福音の真理によって罪人をお救いになり、信じる者を罪のない者となさいました。

天の御国への道は、イエスのバプテスマと血とを信じる信仰の中に見出されます。青色・紫色・緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布とで、イエスは人類を完全に罪から救われました。この真理はどこにあると思いますか? イエス・キリストがお受けになったバプテスマと十字架上の血とを信じるなら、ただ一度ですべての罪から救われ、永遠のいのちを受けることができるのです。

では、何らかの意味でイエス・キリストを信じる信仰と水と御霊の福音を正しく信じる信仰との違いは、何でしょうか? 主が罪人をその咎からお救いになったのは水と御霊の福音によってなのですから、この福音を信じることが主を正しく信じることなのです。主はバプテスマと十字架上の血とで罪人を救われたのですから、主を救い主と信じることは、主が全うされた水と御霊の福音を信じて罪から救われるのと同じことなのです。主の御名だけを何らかの意味で信じることでは、罪を赦されて天国に入ることになりません。

イエス・キリストが人類のためにヨハネからバプテスマをお受けになり、十字架上で血を流され、人類の罪全部の罰を受けられ、死者の中からよみがえられたと信じることによって、人は罪の赦しを受け、神の民となることができるのです。神は、このうえなく聖い水と御霊の福音を信じる者だけが天の御国に入れるようになさいます。水と御霊の福音を信じない者は、新たに生まれていないために天の御国に入ることができません。

幕屋の体現したまばゆい水と御霊の光の福音を信じることによって、聖徒はこの世に生きていながら、いとも聖い信仰を受けることができました。行ないにおいては不完全であっても、そのような信仰をもつなら、聖徒が義人とされていないと誰が言えるでしょう。水と御霊の福音を信じて聖くなったというのに、どうしてまだ罪があることがあるでしょう。聖徒がまだ肉の体にあって罪を犯し続けているのに、どうして罪がないなどと言えるのだろうと疑問に思う人々がいます。

しかし、それはその人たちの肉の考えなのです。水と御霊の福音を信じる人々は、人間は不完全な体をもっているのだから、死ぬまで罪を犯すことを免れないのだという点で一致しています。しかしながら、その人たちはまた、永遠に罪のすべてを、将来に犯す罪までも含めて、イエスのバプテスマと十字架の完全な救済の内で赦されているとも信じているのです。

みなさんと私がこのような霊的信仰のみことばを共有し、この世に生きていながら最も聖い信仰をもっているのは、主が青色・紫色・緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布という形で表わされた救済をくださったためです。これは、水と御霊の福音の真理を人類への贈り物と信じることができる信仰を主がくださったためです。主への信仰によって、聖徒は互いに親交をもち、主に仕え、愛し合って生きることができるのです。ここに真の幸福があります。

この福音を神に感謝せずにはいられません。水と御霊の福音を知り、信じることができるようになったことは、なんとすばらしいことでしょう。私がイエスのバプテスマについて、少しも知らなかったとき、神は真理のみことばによって、水と御霊の福音を信じる信仰を心にお与えくださいました。水と御霊の福音を信じることによって、聖徒はみな天の恵みを受けているのです。

心の中に真の福音があるので 心からの感謝をもって説く

聖書を読んでいて、ある疑問が心に起こりました。なぜイエスはバプテスマをお受けになったのだろう? この疑問が何度も心に起こったので、聖書に答えを探そうとしました。しかし、教えてくれる人は誰ひとりいませんでした。水と御霊の福音を知るようになるまでこの問題に深い関心をもっていたのは、このためです。

マタイの福音書第3章13-17節を、とりわけ、イエスがバプテスマをお受けになる前にヨハネに「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです」とおっしゃった部分をよく読みました。しかし、その意味することを理解することができませんでした。そこで、なぜイエスはヨルダン川でバプテスマのヨハネからバプテスマをお受けになったのかと、しばしば他の人々に尋ねたのですが、完全に満足できる答えを聞いたことがありませんでした。それでも、神はイエスがヨルダン川でヨハネから授けられたバプテスマの目的に気づかせてくださいました。これは、私にとって、盲人が視力を得たような、霊的革命でした。ですから、マタイの福音書第 3 章 13-17 節の意味を悟った後になって、私を罪から救った青色・紫色・緋色の撚り糸の体現した真理を知ることになったのです。

この真理を把握する以前、十字架上の血だけを救済であると信じていましたが、実際は、まだ罪があって、そのために罪人であったのです。当時、イエスの血によっては原罪しか赦されないのであり、自分の犯す罪は心に残っているものと信じていました。人を完全に罪のない者とする信仰は知らずにいました。つまり、イエスがヨハネから授けられたバプテスマについては全く意識していなかったのです。しかしながら、神は、暗い部屋で照明のスイッチを入れたように、罪の赦しのまばゆい光で心を照らしてくださいました。「ああ、イエスがヨハネからお受けになったバプテスマは、旧約のいけにえの制度で両手を置いたことと密接に関連しているのだ。これが、水と御霊の福音というものなのだ。」

では、それからどうなるのでしょう。自分の悟ったことに驚嘆し、真理を知った後で心は激しく動揺しました。この水と御霊の福音が唯一の真の福音であるというのなら、この世はどうなるのだろう。私は、福音主義者の信仰には聖書の裏づけがあるのだと考えていました。しかし、水と御霊の福音以外の福音は、どれもサタンから来ている偽の福音であることに気づくようになりました。

そこで、それ以来、水と御霊の福音以外に真の福音はないことを信じて説くことだけをしてきたのです。このことで私を非難する人々がいました。神はまた、この数々の欠点をもつ人間に、青色・紫色・緋色の撚り糸に体現された救済の真理を示され、この真理が真の福音であると説くことができるようにしてくださいました。この世界には、似たような福音は数多くありますが、真の福音はただ一つです。世界中に水と御霊の福音を広めることにしたのは、そのためです。

どのようにして罪の赦しの真理を説くようになったか、また、どのようにして至聖の水と御霊の福音を知り、信じ、広めるようになったかを考えると、自分がいかに神の恵みを受けているかを感じるです。私がしたのは、イエスがヨハネからバプテスマをお受けになって世の罪を被られたこと、十字架上で血を流されたことを信じることだけなのですが、それなのに罪が全部消えたのです。水と御霊の福音はほんとうの真理です。この福音をくださったことを主に感謝いたします。ほんとうに私は神の恵みを豊かに受けた人間です。水と御霊の福音を信じるみなさんもまた、そのような幸いな人々なのです。

すべてはみな、神のくださった恵みなのだと信じます。使徒パウロが「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりまして、そして、私に対するこの神の恵みは、無駄にはならず」(コリントI 15:10) と告白したように、神がお与えくださった恵みをたたえずにはおられません。正直なところ、神の教会でなければ、どこでみなさんは青色・紫色・緋色の撚り糸によって表わされた福音を聞くことができたでしょう。青色・紫色・緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布のみことばを聞き、信じる者は誰でも心をきよめられます。では、水と御霊の福音を信じない人々は、この福音についてどう考えているでしょう? その人たちにとって、水と御霊の真理はただ退屈なだけなのです。

みなさんには、至聖所の垂れ幕の青色・紫色・緋色の撚り糸を信じる信仰がありますか? このみことばを聞いたとき、とっくに知っているとは考えないで、真理が心に根付いているかどうかを調べてみてください。つまり、聖徒は聖書のみことばにしたがって水と御霊の福音を信じる者でなければならないのです。人が神の教会に来てみことばを聞き、天国に入る特権を得たならば、それは幸運で恵まれているのです。

もしそうでないなら、ありふれた古臭い、人間の考え出した説だけを聞き、水と御霊の福音を知ることも、真の信仰をもつこともできず、天の御国に入ることもできないなら、それが何の役に立つでしょう。信じる福音が水と御霊の福音と異なっているなら、どうしてその人の魂が神に関わりのあるものだといえるでしょう。使徒パウロの信仰と聖徒の信仰が同じものであるように、神のみことばと信仰とは、全く同じでなければなりません。ペテロが信じた水と御霊の福音 (ペテロI 3:21) はまた、聖徒が信じる福音と同じものなのです。

この終わりの時に水と御霊の真の福音を信じるようにしてくださった神に感謝いたします。この宣教会の出版物に記された水と御霊の福音を心にもち、それを他の人々と分かち合うならば、その人たちもまた罪の赦しを受け、喜んで神に感謝するようになるでしょう。よろしいですか、幕屋にある型や器物はみな、人類の罪をすべて消し去った救済の主の細密な肖像画をなしているのであり、人間はこのことのために神に感謝するべきなのです。

至聖所の入り口の垂れ幕に明かされた真理を信じ、救われて天国に入る私たちは幸いです。そればかりではなく、神は聖徒が青色・紫色・緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布によって示された罪の赦しの真理を全世界に広めることができるようにしてくださいました。神はこのわざを聖徒に託されました。聖徒はそれぞれの職掌にあって、割り当てられた務めを誠実に行ないます。そして、神はその誠実さを祝福なさいます。

神に感謝いたします。幕屋の庭の入口に用いられた青色・紫色・緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布の体現した水と御霊の福音は、至聖所の入り口の幕に明かされた四つの色と同じものだと信じ、信仰をもって神に栄光をささげます。みなさんが信仰によってすべての罪から救われ、神が永遠に住まわれる至聖所に入ることができるよう、心から願っております。みなさんの信仰もまた、この真理の上に堅く立っていますか?





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